東京地方裁判所 平成6年(行ウ)111号 判決 1997年2月27日
原告
宮岸外吉
右訴訟代理人弁護士
高野範城
同
奥村回
同
橋本明夫
同
菅沼友子
同
押野毅
右訴訟復代理人弁護士
山口民雄
被告
社会保険庁長官
佐々木典夫
右指定代理人
新堀敏彦
外六名
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一 原告の請求
一 被告が原告に対して平成二年六月一五日付けでした国民年金障害基礎年金支給停止処分を取り消す。
二 被告が原告に対して平成三年七月一五日付けでした国民年金障害基礎年金支給停止処分を取り消す。
第二 事案の概要等
一 事案の概要
本件は、昭和六〇年法律第三四号(以下「本件改正法律」という。)による改正後の国民年金法(以下「法」という。)及び本件改正法律の改正附則(以下「改正附則」という。)の規定により、被告から本件改正法律による改正前の厚生年金保険法(以下「旧厚年法」といい、改正後の同法を以下「厚年法」という。)上の通算老齢年金(以下「厚年通老」という。)の受給権の存在を理由に障害基礎年金の一部の支給停止処分を受け、その後、本件改正法律による改正前の国民年金法(以下「旧法」という。)上の通算老齢年金(以下「国年通老」という。)の受給を理由に障害基礎年金の全部の支給停止処分を受けた原告が、法等の年金の併給調整を定めた各規定は憲法一三条、一四条及び二五条等に違反する等と主張して、右各支給停止処分の取消しを求めて出訴した事案である。
二 関係法令の規定
1 原告に対する年金支給の根拠規定
旧法は、国民の老齢、障害又は死亡に関して必要な給付を行うため(二条)、旧厚年法等の被用者年金各法の適用を受けない二〇歳以上六〇歳未満の日本国民を被保険者とし(七条)、保険料納付期間(同免除期間を含む。)を初めとする支給要件を充足した者に対して(二六条、二九条の三、三〇条)、保険料の納付に対応した給付を行うものであった(二七条、二九条の四、三三条)が、障害年金の支給要件を充足しない者に対しても、障害の程度に応じて二段階の定額の障害福祉年金の支給をすることとしていた。
法は、厚年法等の被用者年金各法の適用を受ける者をも被保険者として(七条)、国民年金制度を原則定額の基礎年金とし、これに保険料との対価性(報酬比例)の強い被用者年金各法による給付を加えることとして、被用者年金各法との調整を図り(いわゆる「二階建て方式」)、従前の障害福祉年金に相当する年金をも障害基礎年金に包摂することとし、保険料の納付を予定しない障害福祉年金を規定していた旧法五七条を法三〇条の四に置き換え、これを障害基礎年金の一つとした。
すなわち、本件改正法律施行日(昭和六一年四月一日)の前日における旧法に基づく障害福祉年金の受給権者のうち、施行日において法三〇条二項に規定する障害等級に該当する障害の状態にある者(原告は、一下肢を足関節以上で欠くものとして、障害等級二級一三号に該当する(法施行令四条の七及び別表)。)は、法三〇条の四第一項に該当するものとみなされ、同項の障害基礎年金(以下「本件障害基礎年金」という。)が支給されることとなった(改正附則二五条)。
また、本件改正法律の施行日において六〇歳以上の者については、旧法による通算老齢年金等に関する規定及び旧厚年法による通算老齢年金等に関する規定が効力を有するものとされた(改正附則三一条、六三条)。
2 原告に対する年金の併給調整の根拠規定
国民年金制度による二以上の年金の受給資格がある場合には、一方の支給が停止するという併給調整は旧法から存在した(二〇条)が、法もこれを承継し、さらに被用者各年金法による年金給付(以下「被用者年金」という)。との調整を行った(二〇条)。
その骨子は、まず、法による基礎年金は、個別的な需要の大小によることなく老齢、二段階に区分された障害及び死亡という稼得能力の減少、消滅の原因となる定型的な事故に対して一定の給付(所得保障)を行うものであることから、二以上の基礎年金は、他の年金を受けることができる期間、それぞれ支給を停止することとしたものである。次に、被用者年金との関係については、同一の支給事由に基づく基礎年金と被用者年金とを一体の年金として併給を認め、いわば基礎年金による一階に被用者年金による二階を加えるという二階建て方式によることとし、個別的には、老齢基礎年金等について例外があるほか、各基礎年金と支給事由を異にする被用者年金とを相互に支給停止の事由とする旨を法及び被用者年金各法において規定するものである(二〇条、厚年法三八条等)。ただし、本件改正法律の施行日において六〇歳以上の者については、旧法及び旧厚年法による各通算老齢年金等が支給されることは既にみたとおりである。
また、各基礎年金についても、個別的な支給停止事由が規定され、この中には被用者年金又は他の制度による給付があること又は一定額以上の所得があること等が含まれている。そして、旧法における年金と法による給付との関係についても、国民年金制度内の重複給付の停止という法の趣旨に沿った併給調整が附則によって規定された(改正附則一一条)。
本件で適用された規定の内容は、次のとおりである。
まず、国民年金制度における二以上の年金給付の調整として、本件障害基礎年金を含む法による年金たる給付は、その受給者が国年通老を含む旧法による年金給付を受けることができるときは、支給を停止し(改正附則一一条二項)、同様に、受給者が六五歳以上の国年通老は、その受給者が障害基礎年金を受けることができるときは、支給を停止する(改正附則一一条三項)。そして、一方の受給権が他方の年金給付の停止事由となる年金給付については、そのいずれかについて停止の解除を申請することができるものとされ、併給関係が生じたことによって支給停止事由が生ずることとなる年金給付については、併給関係が生じた日の属する月分の支給がされるときに、解除の申請があったものとみなされる(同条四項、法二〇条二、三項)。
また、本件障害基礎年金は、監獄、労役場等に拘禁されているとき、少年院等に収容されているとき等のほか、恩給法の規定によるもののみならず、その受給権者が年金たる給付であって政令で定めるものを受けることができるときは、その支給を停止する(法三六条の二第一項一号、三項)。もっとも、本件障害基礎年金の額が政令で定める額以上であって(なお、現在の政令で定める額(法施行令五条の二)は障害基礎年金額を超えていない。)、右によって停止される年金たる給付の額を超えるときは、その超える部分については当該障害基礎年金の支給は停止されない(同条四項)。そして、障害福祉年金から裁定替えされた本件障害基礎年金については、厚年通老を含む旧厚年法による年金が右の政令で定める年金に該当し、この年金を受け得ることが支給停止事由となる(法施行令四条の九第二項二号)。また、障害基礎年金は本来受給権者の所得の多寡を問わないものであるが、本件障害基礎年金は、受給権者の所得金額が一定限度を超えた場合には、支給を停止するものとされている(法三六条の三)。
3 支給調整等
年金たる給付について支給停止事由が生じたときは、その事由が生じた日の属する月の翌月から支給を停止する(法一八条二項)。そして、支給停止事由が生じたのに支給を停止した年金が支払われた場合、法二一条は、異種の年金相互間の調整として、乙年金の支給を停止して甲年金を支給すべき場合に、乙年金の支払がされたときは、これを甲年金の内払いとみなし(一項)、同種の年金について、支給を停止すべきであるのに支払われた年金は、その後に支払うべき年金の内払いとみなすことができるものと規定している(二項)。
なお、偽りその他不正の手段により給付を受けた者に対しては、被告は、受給額の全部又は一部をその者から徴収することができ(法二三条)、その徴収方法は、法に基づく徴収金として国税徴収法の例によることとされている(法九五条)。しかし、右に該当しない場合に、支給を停止すべきであるのに支給された金銭は、将来給付分の内払いとみなして支給調整をするほかには、公法上の不当利得として、その返還請求権を一般の債権管理の方法によって請求すべきことになる(国の債権の管理等に関する法律一三条、一五条三号)。
三 本件訴訟に至る経緯(当事者間に争いのない事実等。なお、書証によって認定した事実については、適宜書証を掲記する。)
1 原告は、大正一四年三月三一日に石川県で出生したが、昭和三一年、交通事故で左下肢大腿部を切断した。
2 原告は、国民年金に加入し、昭和四一年から昭和五三年まで合計一五四か月間にわたり保険料を納付した。また、原告は、厚生年金保険の適用事業所に使用されていた期間もあり、各事業主からは、昭和二〇年から昭和五五年まで断続的に合計九五か月間について保険料が納付された。(甲三〇号証の一(原告の国年通老に係る年金証書)、四九(原告の厚年通老に係る年金証書)、五〇(原告の国年通老に係る被保険者記録照会)、五一(原告の厚年通老に係る被保険者記録照会)、五五号証(原告代理人宛て石川県厚生部国民年金課長の回答書))
3 原告は、昭和四九年三月一日、旧法に基づく障害福祉年金の受給権を取得した。
4 原告は、昭和六〇年六月二〇日付けの被告による裁定で、同年三月三〇日に厚年通老の受給権を取得したものとされた。(甲四九号証)
5 昭和六一年四月一日、原告が受給していた障害福祉年金は、改正附則二五条一項によって本件障害基礎年金に裁定替えになった。したがって、この時点において、本件障害基礎年金は、厚年通老の支給額に相当する部分について支給を停止したのにかかわらず、以後も、原告に対して、厚年通老とともに本件障害基礎年金の全額支給が継続された。(甲四九号証)
6 原告は、平成二年三月六日、金沢南社会保険事務所での住所変更手続の際に初めて、窓口担当者から年金過払いの事実を指摘された。
7 被告は、平成二年六月一五日付けで、原告に対し、原告が厚年通老の支給を受けていることを理由に、本件障害基礎年金につき、昭和六一年四月分にさかのぼって厚年通老相当額の支給を停止する処分(以下「本件第一処分」という。)をした。
また、被告は、本件第一処分に伴い、原告に対して昭和六一年四月以降も全部支給されていた本件障害基礎年金のうち一八〇万二五〇〇円が過払金となったとして、法二一条二項によって平成二年六月支払期以降の本件障害基礎年金について支払調整を実施した(以下「旧支払調整」という。)。
8 原告は、平成二年三月三一日に六五歳に達し、旧法による国年通老の受給資格を取得したため、被告は、平成三年五月九日付けをもってその旨の裁定をした(甲三〇号証の一)。
この結果、法に従えば、平成二年四月一日から国年通老の支給を受けることとなるから(法一八条一項)、この時点で、原告は厚年通老のほか、本件障害基礎年金(既に厚年通老相当額分は支給停止の状態にある。)及び国年通老の双方の受給資格を有することとなったが、後二者は、改正附則一一条により、ともに支給停止の状態にあったことになる。
9 原告は、平成三年四月一〇日付けで、国民年金・厚生年金保険年金受給選択申出書を提出し、国年通老に係る支給の停止の解除を申請した。
10 被告は、平成三年七月一五日付けで、平成二年四月分にさかのぼって国年通老の支給停止を解除したが、同時に、本件障害基礎年金につき、平成二年四月分にさかのぼって全額の支給を停止する処分(以下「本件第二処分」といい、本件第一処分と併せて以下「本件各処分」という。)をした。
また、被告は、本件第二処分に伴い、原告に対して一部支給されていた平成二年四月から平成三年五月分までの本件障害基礎年金一五万四九八六円が過払金になったとして、法二一条一項によって右過払金を国年通老の内払いとみなし、同条二項によって前記7に係る過払金と併せて平成三年七月支払期以降の国年通老について支払調整を実施した(以下「新支払調整」といい、旧支払調整と併せて以下「新旧支払調整」という。)。
11 被告は、平成三年一二月一七日付けで新旧支払調整を撤回し、平成四年一月一六日付けで、新旧支払調整により支払調整済みの本件障害基礎年金(八万五九二六円)及び国年通老(四六万一〇〇〇円)について原告に返納する手続をした。(甲三九号証の一(国民年金・厚生年金振込通知書)、二(国民年金振込通知書))
12 被告は、平成四年一月一六日付けで、国の債権の管理等に関する法律一三条により、原告に対し、改めて本件各処分に係る過払金二〇四万三四一二円(前記7及び同10記載の各過払金並びに同11記載の返還金のうち本件障害基礎年金に係る部分の合計額)につき、納入期限を同年二月四日として納入の告知をした。(甲四一(「国民年金給付費の返納について」と題する書面)、四二(納入告知書・領収証書)、乙一〇号証(平成五年二月二六日付け社会保険審査会の裁決書))
13 原告の平成七年四月支払期までにおける本件障害基礎年金、厚年通老及び国年通老(ただし、本件障害基礎年金は昭和六三年一一月支払期以降のもの)の受給状況は、別紙一の一ないし三のとおりである。(甲五三号証(原告代理人宛て社会保険業務センター業務部長の回答書))
14 原告の本件各処分等に係る石川県社会保険審査官及び社会保険審査会に対する行政不服審査の経緯は、別紙二のとおりである。
四 本件の争点
1 厚年通老の受給権の存在を本件障害基礎年金の支給停止事由とする法三六条の二及び本件障害基礎年金と国年通老との併給調整を定める改正附則一一条(以下これらを総称して「本件併給調整規定」という。)の憲法二五条及び一四条適合性
2 本件各処分の憲法二五条、一三条及び三一条適合性
3 本件各処分における信義則違反の有無
第三 争点に関する当事者の主張
一 争点1(本件併給調整規定の憲法適合性)について
1 原告の主張
(一) 憲法二五条適合性について
憲法二五条の規定は抽象的であって、ある法令が同条に反するか否かを裁判所が判断するに当たって、何が「健康で文化的な最低限度の生活」であるかを明確にできない場合も生じるけれども、その時々の最低限度の生活を営む権利の内実は、当該権利を侵害されたとして争う人々の生活実態及び国民の生活水準等の立証によって、相当程度明らかにすることができる。そして、同条の解釈に当たっては、その一項と二項とを分離して、一項は救貧的な公的扶助、二項は防貧的な公的年金制度等を定めたものとする解釈を採るべきではなく、同条の立法経過等に照らし、その一項と二項とを不可分一体として捉え、二項において定められた「社会福祉、社会保障及び公衆衛生」などの全ての施策について、一項の理念や趣旨が妥当するものと解すべきである。また、原告のような立場の人々が自分の意見を立法に反映させることは困難であり、こうした人々は裁判によってしか自らの憲法上の権利等を確保することができないから、本件のような社会保障事件に当たっては、立法府の立法裁量は広く認めるべきではない。
このような観点からみると、本件併給調整規定は、いわゆる一人一年金の原則により、所定の要件に該当すれば対象となる個々の受給者の生活状況を考慮することなく一律に併給調整することを規定したものであって、憲法二五条が規定する生存権の具体化についての立法裁量を踰越した不合理な規定であるから、同条に反し、違憲無効である。
その具体的理由は、以下に述べるとおりである。
(1) 基礎年金の法的性格
まず、基礎年金の法的性格について検討する。
法は、憲法二五条の生存権を具体化した立法であり、法上の年金受給権は憲法二五条に由来する権利であるが、中でも基礎年金は、① 立法準備段階では各年金制度共通の均一な一定の所得保障水準を確保するものとして構想されたこと、② その金額が高齢者の現実の生活費及び老人世帯の生活扶助基準に見合うように計算されたものであること、③ 基礎年金という名称からして、国民がその水準だけは必ず保障されるという趣旨のものと理解できること、④ 現行の年金制度が定額部分の基礎年金部分とその基礎年金に上乗せされる報酬比例部分の被用者年金からなるいわゆる二階建て制度を採用していることなどに照らすと、特に最低生活保障という性格が強度である。
よって、本件併給調整規定も、本件障害基礎年金額が最低生活を保障し得る額となっていることを前提とした規定であると解するほかなく、社会保障制度審議会が行った「社会保障制度の総合調整に関する基本方策についての答申および社会保障制度の推進に関する勧告」(昭和三七年)も、併給調整は、各年金制度の各給付が最低生活を保障し得る水準になっていることが前提であるとしている。
しかし、原告が受給権を有する本件障害基礎年金その他の各年金は、いずれも単独では生活保護基準以下の水準である。すなわち、本件第一処分についてみれば、平成二年四月において仮に本件障害基礎年金(当時月額五万六七七四円)と厚年通老(同三万九六四一円)が併給されたとしても、合算して九万六四一五円にすぎず、原告について生活保護基準により測定した場合の当時の最低生活費九万一八二〇円を辛うじて上回る水準にすぎないのみならず、旧支払調整後の額(同五万六七七四円)はこれを大きく下回ることになるし、本件第二処分についても、平成三年六月において仮に障害基礎年金、厚年通老及び国年通老が併給されたとしても、合算して一二万九七四〇円にすぎず、原告について生活保護基準により測定した場合の当時の最低生活費一〇万二四六〇円を二万円程度上回る水準にすぎないし、新支払調整後の額(同七万一二四一円)はこれを大きく下回ることになる。
(2) 「二重三重の保障」論の不合理性
本件併給調整規定の根拠の一つは、老齢、障害等の保険事故はいずれも所得能力の喪失又は減退をもたらすものであるところ、その程度は両事故によっても比例的に加重されるものではなく、もし各事故毎に年金を併給すれば二重三重の保障になるという点にあるとされる。
しかし、① 老年基礎年金と遺族厚生年金のように、老後の生活保障、すなわち高齢期における所得の喪失、減少という同一の目的を達するにもかかわらず併給が認められるものがあること(法二〇条一項後段かっこ書)、② 障害基礎年金給付の受給権者が更に別の支給事由による障害基礎年金給付の受給権を取得した場合に、それぞれの障害が共に所得の減少、喪失をもたらすものであっても、実際の要保障状態に加重が認められる際には、その加重に見合った程度の併給を認める建前になっていること(法三〇条の三、三一条、三四条及び三六条二項)、③ 恩給法による増加恩給等、戦争公務による障害等を支給事由とする年金給付と障害基礎年金は併給調整されない建前になっていること(法三六条の二第五項)など、各年金給付の目的、機能、要保障状態の加重等を考慮した結果、併給調整を行わないまま併給を認めたり、併給調整は行っても年金給付を実質的に停止しない規定が数多く存在する。殊に、低水準の福祉年金に関する併給調整についてみれば、昭和六〇年に行われた法改正以前は、母子福祉年金の扶養制限規定撤廃(昭和三六年法律第一三七号)等にみられるように、併給調整が緩和される傾向にあった。加えて、運用上も、昭和四三年一〇月一五日付け社会保険庁年金保険部福祉年金課長通知「公的年金と福祉年金との併給調整の取扱いについて」(庁文発第一一八四九号通知)において、過払いによる福祉年金の受給分について返還を求めないこととしており、実質的に併給を認めていた。
そして、本件で問題とされている国年通老・厚年通老の両通算老齢年金と本件障害基礎年金の両者についてその目的及び機能を検討するに、通算老齢年金の目的は、老齢による肉体的な稼得能力の減退に起因する所得の減少、喪失及び老齢による特別の支出に対する保障であるが、障害基礎年金の目的は、法施行令四条の七、別表が障害の程度を日常生活の制限の度合いから定めていることからも明らかなとおり、単に障害による所得の減少、喪失に対する保障のみならず、障害による特別の出費に対する保障を通じて、障害を持つ者が日常生活を営む権利を保障することを含むものであると解されるから、両年金給付の目的及び機能は、稼得能力の喪失又は低下に対する保障については重複するが、老齢及び障害による特別の出費部分については、両年金の保障する範囲は全く重ならないものということができる。
そこで、老齢による特別の出費の必要性についてみるに、総務庁統計局によれば、平成五年の世帯主の年齢別家計収支に関し、全世帯平均と六〇歳以上の高齢者世帯とで消費支出に占める各費目の割合を比較すると、後者の方が前者よりも食料、光熱及び水道等の基礎的な支出、保険医療費並びに交際費等の割合が高くなっているというのであり、老齢という要保障事故は、食料費等の基礎的な支出及び保健医療費等について、老齢に起因する特別の出費増をもたらすことが明らかである。
これに対し、障害による特別の出費の必要性については、昭和四八年に実施された身体障害者調査委員会の調査によれば、「障害があるための余分な出費があるか」との質問に対して、「なし」と答えた者はわずか15.9パーセントにすぎず、他はタクシー代、電話代等の支出増を訴えており、また、「現在の健康状態」との質問に対しては、35.0パーセントが「疲れやすい」、13.4パーセントが「病弱」と答えているなど、障害のために健康を害し、そのために通院の際の交通費等が必要となることが分かる。
加えて、障害及び老齢という二つの要保障状態の重複による稼得能力の減退及び喪失の側面についてみても、平成三年一一月に実施された厚生省社会・援護局の調査によれば、障害者の不就業の理由は、「重度の障害のため」が34.1パーセントで最も割合が高く、次いで「高齢のため」が24.1パーセントとなっており、障害者は、高齢となることによって稼得能力の減退が一層加重することがうかがえることなどからすれば、障害と老齢という二つの状態の重複は、稼得能力の減退の程度を加重させ、一層の所得の減少をもたらすものといい得るのである。
これらのことは、原告の生活実態に照らせば、一層明白である。
すなわち、原告は、六〇歳(昭和六〇年)ころから障害と糖尿病等の疾患に起因する体調の悪化により次第にまとまった仕事ができなくなり、平成三年には、身体障害者手帳の等級が三級から二級に上がっていることから分かるとおり、六〇歳前後から、障害と加齢の重複による一層の稼得能力の減退が生じたものと思われる。
また、原告は、足に障害があることから、生活に不可欠な移動に制限を受けており、そのことに起因するタクシー代等の特別な出費を要するほか、足の障害に起因する特別の出費として、電動車椅子の購入費及びその充電費用等の維持費、義肢をバンドで肩からつり下げて装着する関係でシャツの肩・首の部分がすぐ痛むために、健康な人よりも早く買換える必要があることからくる出費、障害に起因する痛みを緩和させるための暖房費が掛かる。
加えて、原告は、障害・疾病を抱えて常に入退院を繰り返しているため、その際に入院時食事療養費の自己負担(一日につき四五〇円)等の出費が必要となっている。
このように、原告の場合には、高齢と障害という複数事故の発生によって、稼働能力の低下の程度が明らかに加重しているのである。
以上みたところに照らせば、本件併給調整規定のように各年金給付の目的、機能、要保障状態の加重等を全く考慮せずに、単に二重三重の保障になるというだけで受給者の選択する一年金のみを支給することには、合理的根拠がないことが明らかである。
(3) 無拠出制を根拠とすることの不合理性
本件併給調整規定のもう一つの根拠として、本件障害基礎年金が無拠出制の給付であることが挙げられている。
しかし、かかる見解は、本件障害基礎年金の社会手当としての性格を考慮しないものであって、失当である。
すなわち、本件障害基礎年金は、その財源を国庫負担及び他の被保険者の拠出した保険料に求めるものでありながら、資力調査を伴わない制度、すなわち社会手当としての性格を有するものである。社会手当は、特に第二次世界大戦以後の社会保障の大きな流れとして出現してきた制度であり、生活保護等の公的扶助の短所、つまり調査に伴う人格ないし尊厳の侵害を修正し、他方で保険料を拠出しなければならないという社会保険の短所を修正して、いわば第三の道として制度化されてきたのであって、憲法一三条の定める個人の尊重並びに二五条一項の定める生存権の「文化的」側面の保障及び同条二項の定める国の社会保障の向上及び増進義務の観点から、社会保障制度の進むべき方向、発展形態とみなされるのである。
また、本件障害基礎年金は、経過的障害福祉年金から裁定替えされたものであるが、この福祉年金は、高齢等のために被保険者とならない者に対しての所得保障を担うべく、国民皆年金を実現する上で不可欠な制度として発足した国民年金制度における本質的存在なのである。
したがって、無拠出制を理由とした本件障害基礎年金の支給停止は、旧障害福祉年金から裁定替えされた本件障害基礎年金の意義を無視したものであって、何ら合理性を持たない。
(4) 財政事情を根拠とすることの不合理性
本件のように、併給されて初めて生活保護基準を多少上回る程度の水準である年金の場合に、財政事情を理由として併給調整を行うことは年金制度の趣旨(最低生活保障)を没却するばかりか、憲法二五条等に照らして許されない。
すなわち、憲法二五条が存在し、国際人権規約社会権規約を批准した以上、国は国民の生存権確保のために最大限の努力をすることが義務づけられているものといえるし、最低生活保障の水準については、その時々の予算配分によって左右されるべきではなく、むしろ予算を指導・支配すべきであるとの考え方こそが憲法の要請するところであり、学会においても支持されている。また、いわゆる朝日訴訟に関する最高裁昭和四二年五月二四日大法廷判決等も、国の財政事情だけで社会保障の水準、立法の中身を決定し得るとはいっておらず、財政事情は、あくまで水準を決定し、あるいは制度を作っていく上で考慮すべき事由の一つにすぎない。
さらに、我が国の年金制度は、経済発展を背景に財政面で他の先進工業諸国よりも有利である。例えば、平成六年に行われた財政再計算によると、平成七年度末における積立金は厚生年金が一三〇兆五七三一億円(積立度合(当年度の支出合計に対する前年度末積立金の倍率)5.7)、国民年金が八兆七八一五億円(積立度合2.7)となっているところ、我が国よりも高齢化が進んでいるドイツ連邦共和国の場合、年金の財政方式は賦課方式を採用しており、しかも変動準備金(積立金)は年度末に前年度の平均一か月分の支出費相当額を下回ってはならないとされているにすぎないのである。
したがって、財政の制約という理由によって併給調整を合理化することはできない。
(5) 生活保護制度の存在を根拠とすることの不合理性
生活保護制度の存在によって本件併給調整規定の合理性を説明することは、以下の五点において失当である。
(イ) 年金制度の目的からみたその最低生活保障性
法一条が、国民年金制度は、憲法二五条二項の理念に基づき、老齢や障害によって国民生活の安定が損なわれることを国民の共同連帯によって防止し、もって健全な国民生活の維持・向上に寄与することを目的とする旨定め、他方で、憲法二五条二項が、同条一項にいう国民の生存権を実現するための国の義務を定めたものと解されることからすれば、法は、憲法二五条一項にいう生存権保障の具体化立法であり、したがって、生活保護制度と年金制度は、共に最低生活の保障を目的としているものというべきである。そして、生活保護制度が、補足性の原理(生活保護法四条)に立ち、資力調査をした上で最低生活維持のために活用すべき資産・能力を欠くと認められた者に、事後的・補足的にその者の個別需要に沿った給付を行うものであるのに対し、年金制度は、高齢や障害等の生活上の事故の発生に基づいて、平均的需要に応じた規格的な給付によって最低生活を確保しようとするものであることからすれば、むしろ年金によって最低生活が保障されるべきで、それでもなお最低生活を維持できない場合に初めて生活保護制度が適用されるべきであるから、生活保護制度の存在を理由に年金の最低生活保障性を弱めることは許されない。
(ロ) 戦後の立法の生成及び展開からみた年金制度の最低生活保障性
戦後の立法の生成及び展開に即してみても、年金制度は最低生活の保障を目的とするものといえる。例えば、社会保障制度審議会の「社会保障制度に関する勧告」(昭和二五年)によれば、社会保障制度とは、疾病や老齢その他困窮の原因に対し、保険的方法又は直接公の負担において経済保障の道を講じ、もって全ての国民が文化的社会の成員たるに値する生活を営むことができるようにすることをいうものである旨定義されており、これによれば、国家扶助(公的扶助)だけでなく、保険的方法による経済保障(社会保険)及び直接公の負担による経済保障(社会手当)もまた文化的な生活水準を維持する程度のものでなければならないことになる。さらに、立法の展開をみても、昭和二九年の厚生年金における定額部分の設定、昭和三四年の国民年金法制定における無拠出制年金の規定、昭和六〇年における定額制の基礎年金制度の導入など、年金制度が最低生活の保障を目的としていることが明らかに認められる。
(ハ) 最低生活保障を目的とした年金制度への国際的潮流
国際的にも、年金制度の最低生活保障という目的が導き出される。すなわち、イギリスのべヴァリッジ・プランが、最低生活の保障について、社会保険を基本にし、公的扶助をその補完として位置づけているなど、国際的な制度展開をみると、資力調査を伴う公的扶助から、資力調査を伴わない社会保険や社会手当への最低生活保障方式への発展(選別主義から普遍主義へ)がみられる。
また、ILO条約及び勧告によっても、年金が高齢期の生活保障に足りるものでなければならないとされている。
すなわち、ILO「所得保障に関する勧告」(昭和一九年)において、拠出制年金のみならず無拠出制の年金(社会手当)についても受給者の生活保障を十分に確保すべきことが既に打ち出されており、ILO「障害、老齢及び遺族の給付に関する勧告」では、国内法令は、最低生活水準を確保するように障害、老齢及び遺族給付の最低額を定めるべきである旨定められているのであって、我が国を含めた先進工業国は、ILO勧告の水準まで関係国内法規を改善することが当然の責務となっている。
(ニ) 生活保護制度の制度的欠陥
生活保護法に基づく生活保護は公的扶助の一つとして無拠出で支給されるものの、公的扶助法が生活不能に対する最終的な生活保障制度であることから帰結する本質的・内在的原理として補足性の原理(生活保護法四条)を規定している。よって、保護は他の手段を尽くした貧困状態(要保護状態)にある者に対してのみ行われることとなり、資産調査が要件となるほか、保護の実施機関が被保護者に対する生活の維持、向上等に必要な指導又は指示をする権限を有しているために、① 資産の活用の名の下に、その保有が制限され、② 能力の活用の名の下に、働くことや働けないことの証明等が要求され、③ 扶養義務を優先することが求められることなどから、様々な資産調査や扶養照会がされ、被保護者にスティグマが広がり、ひいては被保護者に対する非人間的な取扱いが横行することとなり、要保護者の人間としての尊厳を傷つけている。
また、生活保護は、かかる制度的な欠陥に加えて、その運用にも大きな問題をはらみ、その結果、右欠陥がさらに拡大している。
すなわち、生活保護の実務においては、昭和五六年一一月一七日付け厚生省社会局保護課長・監査指導課長通知「生活保護の適正実施の推進について」(社保第一二三号)において、新規申請の場合、書面に資産の保有状況や収入状況について種類ごとに克明に記入し、記入内容を証明するに足る資料及び保護の実施機関が行う収入状況に関する関係先照会に同意する旨を記し署名捺印した書面をそれぞれ提出することを求め、これらの書類の提出がなければ申請の却下を検討すること等が指示されたために、一層生活保護の受給締付けが強化され、福祉事務所の窓口で、申請を一度では受け付けずに往々にして生活保護法に規定のない相談として扱われ、申請権が侵害されている(いわゆる水際作戦)ことなどから、保護率の著しい低下がみられ、平成五年度においては、被保護人員は八八万三〇〇〇人にまで落ち込んでおり、他方で、生活保護を受けないで最低生活水準以下の生活をしている人々が大量に存在している。
(ホ) 高齢者にとっての年金の重要性
現在では、高齢者のほとんどが年金に依存しており、平成五年一一月に明らかにされた調査結果によれば、高齢者世帯の九四パーセント以上が公的年金・恩給を受給していること、平成二年三月に明らかにされた名古屋市の調査結果によれば、高齢者の収入源としては恩給・年金が86.3パーセントに達していることなどからすれば、年金が老後の生活保障の中心的役割を担っていることは明らかであるから、生活保護さえあれば年金等の制度が最低生活を保障しなくても問題はないということはできない。
(6) 拠出制年金部分に係る支給停止の不合理性(本件第一処分について)
本件第一処分は、障害基礎年金について拠出制年金たる厚年通老の額に相当する部分を支給停止するものであるから、実質的には厚年通老を支給停止にするに等しい処分である。そうすると、本件第一処分は、原告の保険料拠出を無に帰する併給調整ということになり、近年の年金法改正の方向と逆行するものである。
すなわち、昭和六〇年改正では、保険主義の強化により、拠出と給付とを連動させる考え方が強調されており、平成六年改正では、老齢厚生年金と遺族厚生年金との一部併給を認め、拠出が給付に結びつかなかった従来の併給調整規定が撤廃されているのである。
したがって、本件第一処分に係る本件併給調整規定は、右の意味でも不合理である。
(7) 障害福祉年金受給者にとっての併給の重要性
仮に、本件併給調整規定が一般的には憲法二五条に反するとはいえないとしても、平成二年度で支給月額が生活保護基準を下回る五万六七七五円にすぎない障害基礎年金の現状にかんがみれば、国民は不足する生活費を付加年金、貯金、労働による所得等によって補うことにより、初めて「健康で文化的な最低限度の生活」を営むことができると考えられるところ、旧障害福祉年金の受給者の多くは、比較的若年で障害者となり、若いときにも十分な所得を得ることができなかった者であり、年金の報酬比例部分で十分な額を得ることは難しく、貯蓄の余裕にも欠けるのが実情である上、再就労も困難である。それにもかかわらず、本件併給調整規定は、旧障害福祉年金受給者と他の年金受給者との相違を考慮することなく、一律に現行の基礎年金額の限度でしか併給を認めないから、少なくとも旧福祉年金受給者に適用する限りにおいて不合理である。
(二) 憲法一四条適合性について
障害基礎年金の受給者は、その者に所得があっても、扶養親族のない場合でその額が二九二万五〇〇〇円を超えない場合には右年金の支給を停止されることはないが、右年金受給者が老齢年金を取得する場合には、右所得制限の四分の一以下であり、生活保護基準をも下回る六六万六〇〇〇円の基礎年金額の限度でしか両年金の併給を受けることができない。
しかし、厚年通老や国年通老は拠出制年金であって、保険料の対価としての性格を持つものであるから、労働の対価等として一般的な所得を得ている場合と、厚年通老や国年通老を支給されている場合とで右のような差別をする合理的理由はみいだし難い。
また、一般に障害者は、自動車保有の必要性、暖房器具の利用度の高さ及び他人の手を借りる必要性など、生活の全側面で健常者には不要な特別支出を余儀なくされるところ、障害基礎年金は、障害を原因とする稼得能力の喪失を補うとともに、右のような障害者であるがゆえの支出増に対応するものであって、その必要性は、障害者が老齢年金を受給するようになった場合でも、増大こそすれ減ることはなく、障害ゆえの特別な支出については、老齢を原因とする年金とは別に、障害基礎年金によって賄われるべきである。
加えて、かつて障害福祉年金を受給していた者の多くは若年で障害者となった者であり、年功序列賃金の恩恵を受ける機会もなく、そのほとんどが低所得者層にとどまっている。そのため、老齢年金の報酬比例部分の額は健常者との間に相当の格差が生じている上、老齢の障害者は健常者に比べて就労の機会が少なく、仮に就労できたとしても僅かの収入しか得られないのが実情であるし、貯蓄もほとんどないのが通常であるから、老齢年金を受給するようになった場合でも、障害者は健常者に比べて著しい低所得状態に置かれているのであって、その所得保障を行う必要性は変わらない。
以上のように、本件併給調整規定は、かつて障害福祉年金を受給していた者のうち、老齢を原因とする年金を受給するようになった者とそれ以外の者とを合理的な理由なく差別するものであって、憲法一四条に違反する。
2 被告の主張
(一) 憲法二五条適合性について
憲法二五条にいう「健康で文化的な最低限度の生活」なるものは、極めて抽象的、相対的な概念であって、その具体的な内容は、その時々における文化の発達の程度、経済的及び社会的条件、一般的な国民生活の状況等との相互関係において判断決定されるべきものであるとともに、右規定を立法として具体化するに当たっては、国の財政事情を無視することができず、また、多方面における複雑多様な、しかも高度の専門的な考察とそれに基づいた政策的判断を必要とするものである。よって、憲法二五条の趣旨に応えて具体的にどのような立法措置を講じるかの選択決定は、立法府の広い裁量に委ねられており、それが著しく合理性を欠き明らかに裁量権の逸脱ないし濫用とみざるを得ないような場合を除き、裁判所が審査判断するのに適さない事柄であるといわなければならない。
これを本件併給調整規定についてみても、障害基礎年金と厚年通老・国年通老は、支給要件こそ違え、ともに公的年金制度に基づく社会保障として同一の性格を有する給付であるところ、このような場合に社会保障給付の全般的公平を図るために公的年金相互間における併給調整を行うかどうか、また給付額を幾らとするかの判断も、立法政策上の裁量事項とみるべきである。
そして、社会保障法制上、同一人に複数の事故が発生した結果、同一人に対し同一の性格を有する二つ以上の年金が支給されることになる場合において、そのそれぞれの事故それ自体としては年金の支給原因である稼得能力の喪失ないし低下をもたらすものであっても、事故が二つ以上重なったからといって稼得能力の喪失ないし低下の程度が必ずしも事故の数に比例して増加するとはいえないことが明らかである。
また、昭和六〇年の国民年金法改正時における基礎年金額の決定過程についてみても、公的年金は、老後の生活保障の柱になるとしても、老後の生活の全てを支えるべきものではなく、働ける間の稼働収入、老後に備えた個人の貯蓄、資産収入及び親族による扶養もまた老後の生活を支える重要な手段であること、基礎年金は公的年金の全部ではなく、一階部分の年金であること、基礎年金水準の引き上げにはその費用を賄うための保険料の引き上げが必然的に伴うことなどを考慮した上、各種家族形態における消費支出の実態調査結果に照らして、基礎年金の水準は昭和五九年当時における老人の平均的な生活費のうち、その基礎的な支出を保障するものとして、月額一人五万円、夫婦で一〇万円に決められたものである。
なお、原告は、年金制度による最低生活保障の必要性を強調するが、年金制度と生活保護の目的・役割は全く異なるのであって、前者は、老齢、障害又は死亡等の事故が生じた場合に、国民生活が経済的に損なわれることのないよう、国民の共同連帯、具体的には社会保険方式によって国民生活の安定が損なわれることを防止することを目的とする制度であり、所得減少に対する防貧的な所得補償制度としての意義を持つものであって、一定の条件に該当する場合に、あらかじめ決められた給付が一律に支給されるものであるのに対し、後者は、原因のいかんを問わず、対象者個人の収入や資産、世帯の状況を厳格に調査した上、事後的な救済として自分の収入等と生活保護基準との差額を支給する救貧的な公的扶助の制度であるから、最低生活保障はあくまでも生活保護の目的であり役割であると解すべきである。
以上のように、現在施行されている基礎年金制度及びこれに関連する本件併給調整規定は、高度の専門的考察とそれに基づいた政策的判断から合理的に制定されたものであり、立法府の合理的裁量の範囲内に属するものであるから、憲法二五条に違反するものではない。
(二) 憲法一四条適合性について
本件併給調整規定は、他の公的年金給付を受ける場合に、障害基礎年金が支給を停止する旨を定めたものであるのに対し、法三六条の三は、本件障害基礎年金が保険料給付の全くない年金制度加入前の障害に基づく給付であり、その費用負担に当たっては他の基礎年金とは別に国庫負担が行われているという観点からみて、受給者自身に一定限度の所得がある場合に障害基礎年金の支給を停止する旨を定めたものであって、両者を並列してみるべきではないから、その差異を合理的理由のない差別であるとすることはできない。
二 争点2(本件各処分の憲法適合性)について
1 原告の主張
(一) 憲法二五条及び一三条適合性について
原告は、昭和三一年に左下肢大腿部切断の障害を負って老後の生活に不安を感じ、国民年金制度に進んで加入した。原告は、昭和三九年から障害福祉年金を受給するようになったが、その後も、国年通老等が支給されるようになった場合には併給調整が行われる旨の情報を全く与えられなかった。そこで原告は、生活保護を受けることによってプライバシーを侵害され、屈辱的な扱いをされるより、何とか二つの年金で自活しようと考え、障害を持つ身でありながら懸命に働き、苦しい生活の中から長年にわたり年金保険料を払ってきた。
しかし、本件各処分により、原告に支給される年金額は生活保護基準以下になってしまい、原告は生活保護を受けざるを得なくなってしまったものである。
ところで、原告に支給されていた障害福祉年金はいわゆる社会手当に属するが、右社会手当は生活保護等の公的扶助の持つ欠陥、とりわけ資産調査に伴う被対象者の名誉・人格の毀損をできるだけ回避し、それを補充するものとして採用されてきたものである。しかも、憲法二五条の一項と二項とは不可分一体的に捉えるべきであって、社会手当にも公的扶助にもともに同条一項の趣旨が妥当することからすれば、拠出制の社会保険と併せて社会手当を受給することによって公的扶助の欠陥を回避することができる場合には、受給者にその選択権を認めるべきであり、かかる選択権は憲法二五条、及び人間の尊厳や自律権を定める憲法一三条によって保障されていると考えるべきである。
したがって、かかる選択権を行使した原告に対して併給調整を行い、その結果として生活保護の受給を余儀なくさせた本件各処分は、憲法二五条及び同一三条に反する。
(二) 憲法三一条適合性について
憲法三一条所定の適正手続の趣旨が行政手続に及ぶことは明らかであり、殊に本件のように高齢かつ身体障害者という社会的弱者に対して不利益処分がされる場合には、通常の場合に比べて一層明確な手続の遵守が要請される。しかし、本件各処分は、原告が住所変更の届出のために金沢南社会保険事務所を訪れた際、原告に対する年金の併給を偶然発見した右事務所職員が、十分な説明をしないまま威圧的に国年年金受給権者支給停止事由該当届の提出を強要したものであって、右届出行為の成立には明白な瑕疵があるから、本件各処分は手続的に違法である。
また、原告は、昭和六一年四月に国民年金障害基礎年金証書が送られてきた際、石川県庁等の窓口を相次いで訪れ、厚年通老と本件障害基礎年金の二つの年金を受給し得ることについて確認するなどしており、かかる事実経過からすれば、その後平成二年三月まで原告の両年金の全額併給状態を継続させた責任は被告側にあったというべきである。それにもかかわらず、被告は、本件各処分及び新旧支払調整に際し原告に対して告知・聴聞の手続を一切行わなかった。しかし、この時に被告が適正な手続を遵守していれば、両年金の全額併給についての原告の信頼が保護に値するものであること、併給の責任が被告側にあること、本件各処分を強行すれば憲法二五条に基づく原告の年金受給権を侵害する結果をもたらすことが事前に明らかとなり、その結果本件各処分はされなかったはずであるから、適正手続を履践しなかった瑕疵が本件各処分の違法を来すことは明白であり、右の理は、被告が新旧支払調整を後に取りやめたことからも明らかである。
2 被告の主張
(一) 憲法二五条及び一三条適合性について
福祉年金のような無拠出制の年金は、社会保障としての政策的配慮に基づく特別措置としての性格上、所得能力喪失の状態が具体的に存在する場合にのみ年金給付を行うものであるから、公的扶助の色彩が極めて強い制度であるということはできる。
しかし、無拠出制の年金は、憲法二五条二項の趣旨に基づき、個人の貯蓄や扶養親族による扶養があることを前提に、所得の一部を保障することによって積極的な防貧政策の実現を目指すものであるのに対し、典型的な公的扶助の制度である生活保護制度は、同条一項の趣旨に基づき、最低生活の全部を保障することを目的とする救貧的制度であるから、両者はその法的性格を全く異にする。
したがって、かように法的性格が異なる両者の選択を認めなければならない必要性はない。
(二) 憲法三一条適合性について
本件各処分は、受給者からの申請等を要件とするものではなく、受給者からの支給停止事由該当届等の提出を端緒とすることはあっても、元来は職権で行われるべき処分であるから、仮に支給停止事由該当届等の提出手続に瑕疵があっても、右瑕疵は本件各処分の効力には何らの影響も及ぼすものではない。
また、行政手続だからといって、本来刑事手続に関する規定である憲法三一条の適正手続の保障の枠外にあるということはできないにしても、一般に行政手続は、刑事手続とその性質において自ずから差異があり、また、行政目的に応じて多種多様であるから、行政処分の相手方に事前の告知、弁解又は防御の機会を与えるかどうかは、行政処分によって制限を受ける権利利益の内容、性質、緊急性等を総合較量して決定されるべきものであって、常に必ずそのような機会を与えることを必要とするものではない。
しかるに、本件各処分は、法の許容しない年金の併給状態を解消し、適法な状態に戻す処分であり、画一的処理を要し効果裁量が認められず、憲法三一条の規定の適用が問題となる余地はないから、処分に当たって原告に告知・聴聞等の機会を与えなくても憲法三一条には反しない。
加えて、年金制度の目的は、国民の共同連帯によって国民生活の安定が損なわれることを防止することであり、保険料の納付を継続することは、将来発生すべき保険事故である老齢、予測できない保険事故である障害や死亡等に対して保険給付が行われるための必要条件であることからすれば、被告には、原告が国民年金等の保険料を納付していた際、将来二つ以上の年金は受けられないとの教示をする義務まではなかったことが明らかである。
三 争点3(本件各処分における信義則違反の有無)について
1 原告の主張
(一) 学説上、授益的行政行為は、既得の権利又は利益の侵害を正当化するだけの公益上の必要がある場合に限り、しかもその目的に必要な限度においてのみ、その職権取消しをすることができるとされ、少なくとも、条理上相当な期間を経過した場合には、その取消権は排除されるべきである。判例も、最高裁昭和六二年一〇月三〇日第三小法廷判決(以下「六二年最判」という。)を初めとして、行政法の分野での信義則の適用を認めている。殊に、六二年最判は、青色申告の申告受理及び申告納税額の収納は当該申告書の内容を是認するものではないから、納税者が青色申告の用紙を使用して納税申告をしたとしても、これをもって青色申告の承認申請をしたものではなく、更正処分をしても被処分者に対する公的見解の表示に反しないとして、憲法八四条の規定する租税法律主義に由来する厳格な画一的処理の必要のある租税法の分野においても、一般的に信義則違反が問題となり得ることを認めたものである。
そして、社会保障給付行政における行政行為は、憲法二五条の規定する生存権に由来し、常に生存権の意味内容を個別、具体的生活実態に即して判断する必要がある点で、課税処分等とは本質的に異なるから、本件のような場合においては、右最判のいうような厳格な基準は妥当しない。
また、在日韓国人に対する国民年金老齢年金の裁定却下処分を違法であるとして取消した東京高裁昭和五八年一〇月二〇日判決の事案と本件事案とを対比しても、原告に対して信義則上の救済が与えられるべきことは明らかである。
よって、本件各処分は、五年間にわたる併給という事実状態と信頼を破壊し、いわば長年にわたって培われてきた平地に波乱を生ぜしめるものであって、著しく原告の利益を損なうものといえる。
しかも、法一〇二条や厚年法一七〇条で時効を五年と規定していることなどからみて、本件における五年という併給期間は、条理上授益的処分の取消しが許されなくなる「相当な期間」に該当するものというべきであるし、原告に限って併給を認めても、何ら特別な公益上の問題が生じることはない。
したがって、本件各処分は信義則に違反し、違法である。
(二) 本件第一処分の一体性
なお、被告も、新旧支払調整を撤回していること等からみて、少なくとも本件第一処分のうち、昭和六一年四月分から処分時である平成二年六月一五日までの部分については、その適法性に対する原告の信頼が法的保護に値するものと解していることがうかがわれるが、本件第一処分のうち、昭和六一年四月分にさかのぼって併給調整を行う部分と、処分時以降の将来に向けて併給調整を行う部分とは不可分一体であるから、前者を違法とする以上、本件第一処分は全体として違法とならざるを得ない。
2 被告の主張
原告は、本件各処分が講学上の授益的行政行為の取消しに当たると主張する。しかし、本件各処分は、基本権たる受給権に基づいて具体的に発生する支分権たる金銭支払請求権に制限を加える侵害的行政行為であり、しかも法所定の支給停止事由の発生を要件とする覇束的処分であって、原告の障害基礎年金給付を受ける権利(基本権)を確認した被告の裁定という授益的行政行為は取り消されていないし、支分権は、基本権が存在し、受給停止事由に該当していなければ各支払時期の到来により自動的に発生する権利であるから、支分権を発生させる独自の授益的行政行為は存在しない。よって、本件各処分は、講学上の授益的行政処分の取消しの事案には当たらないのである。
また、本件のように、社会保障給付が数年間行われたが、その後給付の違法性が明らかになり給付決定の職権取消しが行われるような事案においても、一般的には、信義則の適用を肯定する余地がないわけではない。しかし、社会保障給付行政においても、租税法律関係等と程度の差はあるにせよ法律による行政の原理は貫徹されなければならず、国民に対して保険料拠出という負担を課していること、保険料拠出と給付との間にある程度の対価的関係が認められることからすると、加入者間・受給者間の平等・公平を図る必要性も高い。そうすると、六二年最判が租税法律関係において信義則を適用する際の要件として判示するところは、社会保険給付行政においても基本的に妥当するものといえるから、右要件として、① 社会保障給付担当官庁が国民に対し信頼の対象となる公的見解を表示したこと、② 国民がその表示を信頼しその信頼に基づいて行動したこと、③ 後に右表示に反する処分が行われたこと、④ そのために国民が(経済的)不利益を受けるに至ったこと、⑤ 国民が社会保障給付担当官庁の右表示を信頼しその信頼に基づいて国民の責めに帰すべき事由がないことが必要というべきである。
これを本件についてみるに、原告が主張する事実関係を前提とする限りは、①及び③の要件については、これを肯定することができる。
しかし、原告からは、原告が社会保険事務所及び石川県庁の窓口の職員から障害基礎年金及び厚年通老のいずれの支給をも受け得る旨の説明を受けたことによって保険料の納付等の積極的行為に出たとの主張・立証はない。加えて、原告は、本件各処分によっても、厚年通老の支給は受けているのであり、本来のあるべき状態、すなわち原告と同じ状況にある他の受給者と同一の支給を受けるに至ったにすぎず、本件各処分により原告の生存の基礎が揺るがせられたとまでは評価できない。また、仮に担当者の誤った教示により法に適合しない複数年金受給を前提にした生活設計を設定したとしても、その信頼は法的保護に値するとまではいえず、過払分の清算関係はさておき、将来にわたってまで複数年金の受給を容認する理由には乏しく、社会保障給付法規の適用における受給者間の平等、公平という要請からしても、これを容認することはできない。
よって、原告の主張する事実関係を前提としても、本件には、前記②及び④の要件が認められない。
また、原告が引用する東京高裁判決の事案は、本件とは基本的な事実関係が異なり、行政側の誤った説明により形成された信頼に対する法的保護の必要の度合も異なる。
さらに、① 障害福祉年金に係る国民年金証書の様式の「注意事項」欄には、公的年金を受けるようになったときは福祉年金支給停止関係届を市区町村役場へ提出するようにとの記載があること等からして、被告が原告に対し、本件併給調整規定の存在と届出義務を知らしめていたことは明らかであるし、② 併給調整制度は、年金制度の基本的規定の一つであり、業務に精通した担当職員が、規定と正反対の説明を行うとは到底考えられず、③ 原告が誤った教示を受けたとする昭和六一年四月ないし六月当時に金沢社会保険事務所及び石川県国民年金課で原告に対応した可能性のある職員は、いずれも同県保険課又は国民年金課に採用され、基本的には保険課、年金課又は同県内の各社会保険事務所のいずれかに配属され、その中で異動し、常に社会保険事務に携わっている専門的職員(地方自治法附則八条及び同法施行規程六九条二項所定の官吏たる都道府県職員)であって、市町村の国民年金事務担当者を指導すべき立場にあった者であること等からすれば、原告が主張するような説明を金沢社会保険事務所職員や石川県国民年金課職員が行うことはあり得ないから、原告が本件処分に信義則を適用するに当たって前提としている事実関係は、そもそも存在しないものと推認されるのである。
第四 当裁判所の判断
一 本件併給調整規定の趣旨と本件各処分の性質
1 法は、日本国憲法二五条二項に規定する理念、すなわち、国の社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上、増進義務に基づき、老齢、障害又は死亡によって国民生活の安定が損なわれることを国民の共同連帯によって防止し、健全な国民生活の維持、向上に寄与することを目的として、国庫の補助の下に保険料の額を原則として定額とし、基礎年金の給付の額も、受給権者の所得の多寡にかかわらず定額を原則とし、老齢、障害又は死亡という稼得能力喪失の原因となる定型的事故について、一律の保険給付をすることで所得保障をするものということができる。
他方、被用者年金各法は、労働者の老齢、障害又は死亡について保険給付を行うことで、当該労働者又はその遺族の生活の安定と福祉の向上に寄与することを目的とするものであり、稼得能力喪失の原因となる定型的事故について、所得保障を目的とするという点で法の規定する年金と共通するものではあるが、保険料は標準報酬月額に基づいて算定され、給付額も標準報酬月額及び被保険者期間によって算定されるものであり、法に規定する基礎年金よりも保険料と給付内容との報酬比例の性格が強いものとなっている。
その意味で、法による基礎年金が、被用者年金各法による給付を前提として、国民全体による定額拠出による受給権者の個別的事情にかかわらない一律の保障としての趣旨を有するのに対して、被用者年金各法による給付は、基礎年金の上に拠出に対応する給付(対価的給付)を加えるという性格を有するものということができる。また、いずれの給付も、一部の例外を除いて、受給権者が他に所得、資産を有することを妨げるものではない。
そして、一般に、同一人に同一の性格を有する二以上の公的年金が支給されることとなる重複事故において、それぞれの事故自体としては各別の稼得能力の喪失、低下をもたらすものであり、その程度が常に一つの事故による稼得能力の喪失、低下に吸収される関係には立たないとしても、必ずしも稼得能力の喪失、低下が事故の数に比例して増加するものではないことから、社会保険による年金給付における併給調整の趣旨は、負担及び給付の公平を期し、重複給付を避け、年金制度の長期的安定を図ることにあると解されるところ(甲二一(社会保険業務センター監修「厚生年金保険・国民年金の併給調整」)、一一四号証(小山進次郎著「国民年金法の解説」))、本件併給調整規定のうち、本件障害基礎年金と国年通老との併給調整規定は、国民年金制度における重複事故について一つの給付を支給するとする旧法以来の施策(旧法二〇条、法二〇条)と同趣旨に出るものであり、本件障害基礎年金の厚年通老受給権取得に伴う支給停止は、国民年金制度の基本である拠出制年金の要件を充たさない者に対する無拠出年金としての性格から、国庫補助に係る他の公的年金による給付との関係でこれを補充的なものと位置づけたものであるということができる。
そして、本件併給調整規定は、いずれも年金給付の支給停止事由として規定され、その要件該当性は客観的に定まり、支給停止の効果(法一八条二項)も客観的に生じるものとされ、支給停止事由該当性の判断及びこれによる効果について裁量の余地はないものとして規定されている。
2 右のとおり、支給停止事由該当性の判断は客観的事実の認定によるものであって、裁量の余地はなく、法は、支給停止事由が生ずることをもって、年金たる給付はその支給を停止すると規定する。したがって、裁定に係る年金受給権に基づく支分権たる支給請求権は、支給停止事由の発生によって当然に停止すると解する余地もあるが、年金事務管掌者が支給停止事由の存否を適時に把握することが困難であることから、被保険者の届出等により、支給停止事由の存在を確認したときに、支給行為を停止する旨の処分(支給停止処分)を行い、この処分により、支給停止事由の生じた日の翌月分からの給付について停止の効果が生ずるものと解される。
したがって、支給停止処分は、支給停止事由の発生を確認し、年金受給権が支給停止の状態にあることを宣言し、右事由の生じた日の翌月分からの支給行為を停止する処分ということになり、この処分により、支給停止事由の発生時以降の年金給付はその法的根拠を喪失し、この年金給付の支給根拠の喪失が公定力をもって確定されることとなる。もっとも、この処分の効果としては、処分後に支払うべき給付については支給根拠が喪失し、支給拒絶の理由となるが、既にされた給付については、これを保持する適法根拠を奪うに止まり、既払分についての返還債務の存在又はその額を確定するものではない。
ところで、本件第一処分は、昭和六一年四月一日から一部の支給を停止した本件障害基礎年金の既払分について原告の保持根拠を奪うとともに、平成二年六月支払期以降の一部支給拒絶の根拠となったものであるが、本件第二処分が、平成二年四月分以降について障害基礎年金の全部について支給停止をした結果、本件第二処分が有効である場合には、本件第一処分は、現在においては、昭和六一年四月分から平成二年三月分までの既払分についての原告の保持権原を奪うという効力を有しているにすぎない。そして、右既払分についてされた新旧支払調整が撤回されたことは既に摘示したとおりであるが、被告はその支払を請求しているというのであるから、なお、本件第一処分の取消しを求める訴えの利益は存するということができる。
二 本件併給調整規定の憲法適合性について
1 憲法二五条適合性について
(一) 憲法二五条一項は、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と規定しているが、同規定は、いわゆる福祉国家の理念に基づき、全ての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るように国政を運営すべき国の責務を国民の権利として宣言したものと解される。また、同条二項は、「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」と規定しているが、右は、同じく福祉国家の理念に基づき、社会的立法及び社会的施設等の創造拡充に努力すべきことを国の責務として宣言したものと解すべきである。そして、同条一項は、国が個々の国民に対して具体的・現実的に右のような義務を有することを規定したものではなく、同条二項により国の一般的な責務とされている社会的立法及び社会的施設の創造拡充を通じて、個々の国民に人間の尊厳にふさわしい生活を営む具体的・現実的な権利を保障しようとする趣旨に出たものというべきである(最高裁昭和二三年(れ)第二〇五号、同年九月二九日大法廷判決・刑集二巻一〇号一二三五頁参照。)。
その意味で、最低限度の生活の保障は、国民の拠出の有無を問わず、これを必要とする国民に対して、まず実現することが期待されるのであって、最低限度の生活保障の制度の上にさらなる社会的立法及び社会的施設等の創造拡充の努力が求められるものということができる。もっとも、社会的立法及び社会的施設等の創造拡充の努力の結果、社会における最低限度の生活の水準そのものが向上するという関係は無視することができないから、「最低限度の生活」と生活水準の向上、増進とを完全に切り離して理解することは相当でないということができるが、生活水準の向上、増進のための施策が、それ自体で最低限度の生活を保障すべきものと解することはできないのである。
(二) ところで、右規定にいう「健康で文化的な最低限度の生活」という概念は、極めて抽象的・相対的なものであって、その具体的内容は、その時々における文化の発達の程度、経済的・社会的条件、一般的な国民生活の状況等との相関関係において判断決定されるべきものである。さらに、右規定を現実の立法として具体化するに当たっては、国の財政事情を無視することができないことはもとより、多方面にわたる複雑多様な、しかも高度の専門技術的な考察とそれに基づいた政策的判断が必要とされるのである。また、立法府は、公的扶助を含む所得保障や医療保障、さらには租税を初めとする負担についての種々の軽減措置等により、我が国の法制度全体を通じて憲法二五条の趣旨を実現していくことが要請されているものであって、最低限度の生活の保障のための制度、社会的立法及び社会的施設等の創造拡充のための制度を、受給権者の拠出に係らしめるか、給付の要件、内容をどのように定めるか、相互の給付間の調整方法等を含め、右の趣旨に応えて具体的にどのような立法措置を講じていくかの選択決定は、立法府の広い裁量に委ねられているものというべきである(最高裁昭和五一年(行ツ)第三〇号、同五七年七月七日大法廷判決・民集三六巻一二三五頁参照。)。
これに対し、原告は、原告のような立場の人々がその意見を立法に反映させることは困難であるから、本件のような社会保障上の権利の違憲審査に当たっては、立法裁量を広く認めるべきではないと主張する。しかし、社会保障立法の専門技術性及び体系性のみならず、不可避的に財源措置が伴うべき社会保障政策の実現に当たってはその負担者たる国民の意見及びその反映としての立法府の意思を到底無視できないことに照らせば、原告の主張する点を勘案してもなお、社会保障立法に当たっての立法裁量は広く認めざるを得ないのである。
(三) そして、右に説示した点を、現在の法制度に照らして考慮すれば、最低限度の生活の保障を目的とする社会福祉施策の中心には、受給権者の拠出を前提としない生活保護制度があり、法又は厚年法等の被用者年金各法に基づく給付は、生活保護法とは別に、老齢、障害又は死亡といった稼得能力の喪失、低下に対する受給権者の拠出制年金として、要保護性の有無、所得の多寡を具体的要件とすることなく、稼得能力の喪失、低下を一般的に推認させる事故の発生を理由に所定の給付を行うものということができ、個々の国民の最低生活は、生活保護法を中心とする公的扶助法、身体障害者福祉法又は老人福祉法その他の社会福祉法、法又は被用者年金各法等の年金保険法のほか、国民健康保険法その他の医療保険法等の各法制度に基づく諸施策の総合によって実現されるのである。
すなわち、生活保護法は、生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するものであり(同法一条)、保護は、生活に困窮する者がその利用し得る資産、能力等を活用することを要件とし、他の法律に定める扶助によってなお不足する保護を賄うものとされている(資産、能力の活用及び他法他施策の優先、同法四条二項)。このように、他法他施策の優先とは自己資源の活用と同様、生活保護の補足性によるものであって、他法他施策のみをもって生活保護法の要請する生活水準を達成すべきことを意味するものではないのである。そして、生活保護制度が全社会保障制度の中で補足的役割を担っていることは、厚生省大臣官房統計情報部保健社会統計課国民生活基礎調査室による国民生活基礎調査の結果、平年三年の高齢者世帯(男六五歳以上、女六〇歳以上の者のみで構成するか、またはこれらに一八歳未満の未婚の者が加わった世帯)の所得を種類別にみると、「公的年金・恩給」が一五九万五〇〇〇円で総所得の半分を超え、「稼働所得』は一〇四万五〇〇〇円で総所得比34.2パーセント、「財産所得」が二九万四〇〇〇円で同9.6パーセントを占めているものと認められること(甲七四号証(厚生の指標・第四〇巻第一三号))からも推認することができるのである。
なお、公的年金制度又は社会福祉制度を公平かつ適切に運用するに当たっては、各制度において規定された要件該当性の調査、確認が必要となるのであって、国民年金制度における被保険者の届出義務(法一二条)、受給権者に関する調査(法一〇七条)、資料提供要請(法一〇八条)、厚生年金保険制度における届出(厚年法二七条)、確認(同法一八条二項)及び生活保護制度における要保護者の資産状況、健康状態等の調査権(生活保護法二八条一項)、調査嘱託、報告請求権(同法二九条)も、この趣旨に出るものということができる。もっとも、調査の内容は各制度が求める要件によって相違するものであり、要件が定型的であれば、調査の内容も外形的事実によって行われることになるが、社会福祉政策である生活保護行政においては、補足性の原則から、個人のプライバシーに係わる部分が極めて大きい資産状況又は健康状態の調査が行われ、また、自立の助長(同法一条)の趣旨から保護実施機関による指導、指示(同法二七条)が予定されている。したがって、個別具体的事情による救済を必要とする生活保護行政においては、公正適切な行政の要請に忠実な余り、保護要件の調査が過度になるときは、生活保護制度によって護られるべき個人の尊厳及び自律性を侵害する危険を孕むものということができる。したがって、これらの調査を要しない給付によって生活保護水準に達することができるのであれば、これに優るものはないということができるが、その場合には、自らの所得及び資産をもって十分な生活をすることができる者を含めて一律に相当額の給付を受けることとなるから、その費用の負担については、現在と全く異なる算定が求められることになるのである。したがって、補足性を前提とする要保護性の調査が個人の尊厳を侵害し、あるいは保護の必要ある者から保護の機会を奪うような結果とならないように適切な運用が求められるべきことはいうまでもないし、そのような危険があることから、生活保護以外の社会保障又は原告の主張する社会手当をもって最低限度の生活を維持すべしとすることは、経済的に繁栄した国家の理想であって憲法二五条の目指す方向にも一致するものということはできるが、現在の法制度の下において、法に基づく権利として構成することはできないし、また、原告の主張する社会手当をもって最低限度の生活を維持しないことが憲法二五条に反するものということもできないのである。
(四) 以下、右に説示したところに基づき、原告の主張について検討する。
(1) 基礎年金の水準
原告は、本件併給調整規定が憲法二五条に適合する前提として、障害基礎年金がそれだけで国民の健康で文化的な最低限度の生活を保障し得る額であることを要するところ、障害基礎年金額は生活保護基準以下の水準であるから、本件併給調整規定は憲法二五条に違反すると主張する。
しかし、この主張が採用できないことは、既に説示したとおりである。もっとも、乙三(吉原健二編著「新年金法」)、二三号証(昭和六〇年年金改正に関する国会審議録Ⅰ)によれば、本件改正法律の立案過程においては、憲法二五条の精神に照らし、基礎年金の水準を生活保護基準以上とすべきことあるいは基礎年金の原資を税方式にすべきとの主張がされていたことが認められる。しかし、右各証拠によれば、厚生省の試算では昭和六〇年当時における六五歳以上の生活保護受給者の一人当たりの生活扶助額は平均で約三万六〇〇〇円程度であったこと、総理府統計局の昭和五四年全国消費実態調査の結果とその後の消費者物価の上昇率を勘案して推計すると、六五歳以上の老人の消費支出額は昭和五九年において単身で月額八万四八八一円、夫婦で同一五万五一一六円となること、そのうち消費支出から雑費を除いた食料費、住居費、光熱費及び被服費の合計は単身で月額四万七六〇一円、夫婦で同八万三七三三円となること、基礎年金の水準はこれら基礎的支出と雑費のごく一部を賄うに足りる金額になるよう昭和五九年度価格で月額一人五万円と算定されたこと、右水準を維持するためには、国民年金の最終保険料は月額約一万三〇〇〇円(昭和六〇年当時同六二〇〇円)になるものと試算されていたこと、基礎年金の前記水準は、昭和五九年時点ではイギリス、スウェーデン及びカナダのそれと比較しても遜色がないといえることがそれぞれ認められ、また、乙三、四号証(社会保険庁運営部編「国民年金三十年の歩み」)によれば、本件改正法律の審議過程における各意見の検討の末、最終的には、保険料の免除制度や拠出要件の特例を設けつつも、基礎年金制度は被保険者の拠出に対する反対給付という性格を有する保険方式が基本的に維持されたことが認められる。
このように、保険方式の採用は高度の政策的判断の結果であるといえるし、甲一一八号証(高藤昭著「社会保障法の基本原理と構造」)によれば、拠出制の長所としては、年金権及びその内容がその時々の国家等の財源負担者の財政状態によって影響を受けることがないこと、年金権は拠出に対する対価として私法的請求権たる性格も有し、年金権をより強固ならしめること、拠出者の拠出に意欲を与えるなどの諸点が挙げられていることが認められるから、右判断には相応の合理性があるというべきところ、保険方式を原則として採用する以上、その給付水準を決するに当たって扶養世代が負担すべき保険料の負担率を無視できないことは明らかである。また、基礎年金には国庫負担が集中しており(法八五条一項)、殊に本件障害基礎年金はその給付に要する費用の四割が国庫負担で賄われているところである(法八五条一項三号)。しかも、老齢基礎年金について保険料納付期間による減額が規定されている(法二七条)のに対して、障害基礎年金についてはこのような減額は規定されていない(法三三条一項)。
これらのことからすれば、本件障害基礎年金の水準が、憲法二五条の趣旨に反し著しく不合理なまでに低額であるということはできない。
(2) 二重三重の保障の適否
原告は、法には要保障状態の加重に見合った併給を許容する規定が存すること、障害者は高齢となることによって稼得能力の低下が加重すること、通算老齢年金と障害基礎年金は稼得能力の喪失又は低下を保障するという点で重複するとしても、老齢又は障害による特別の出費部分について保障の範囲は重複しないから、重複事故による重複給付を理由とする本件併給調整規定には、合理性がないと主張する。
しかし、原告が併給を許容する場合として掲げる事例は、いずれも本件と対比するのに適切とはいえない。すなわち、① 法二〇条一項後段による老齢基礎年金と遺族厚生年金との併給は、同条及び厚年法三八条により遺族厚生年金に対応する基礎年金が遺族基礎年金又は老齢基礎年金とされたことの結果であって、実質的に二階建て年金の趣旨に沿うものであり、② 法三一条により障害が増進した場合に併合障害の程度による給付を行うのも、二段階に分類した障害程度の帰属区分を一に認定することであって、各障害ごとの給付を併給するものではなく、③ 法三六条の二第五項により戦争公務による障害等を支給事由とする年金給付と障害基礎年金とが併給調整されないのは、前者については戦争犠牲者に対する国の精神補償的要素が含まれているとされている点に起因するものである(最高裁昭和五四年(行ツ)第一一〇号、同五七年一二月一七日第二小法廷判決・訟務月報二九巻六号一一二一頁参照。)から、原告が援用する諸規定は、いずれも複数の保険事故による要保障状態の加重に対して二重三重の保障を認める趣旨のものということはできないのである。なお、甲一〇八号証(社会保険庁運営部監修「国民年金事務提要」)によれば、原告の援用に係る社会保険庁年金部福祉年金課長通達も、併給調整を看過して過払いとなった福祉年金の返還請求につき、併給調整を受ける者の不利益等を考慮して一定の制限を課していることは認められるが、それ以上に一般的に福祉年金とその他の公的年金との併給を認めたものではないことは明らかである。
また、障害と老齢という複数の保険事故によって、稼得能力の低下ないし喪失につき何らかの加重があること自体は優に推認できるし、原告本人尋問の結果及び甲四五号証(原告の陳述書)によっても、原告は高齢となるに従って義足の負担に耐えられなくなり、最近では車椅子を使用するようになっていること、昭和六〇年ころから次第に健康上の理由等でまとまった仕事ができなくなってきていることが認められる。しかし、障害と老齢という二つの保険事故による稼得能力喪失の加重の程度は障害の種別や程度、その者の資産の有無等に応じて相当に異なるものと解されるし、ましてこれが比例的に加重するものと認めるに足りる証拠はない。そうすると、生活保護法、老人保健法及び身体障害者福祉法等に基づく障害及び老齢に対する種々の施策を前提に定型的かつ一律の保険給付を目的とする基礎年金については、立法論として老齢及び障害による加算類型を設けることが検討され得るとしても、重複給付を回避して負担と給付の公平を図るという見地から一律に本件障害基礎年金と通算老齢年金の併給を禁ずる本件併給調整規定が、立法裁量の範囲を逸脱し不合理であると認めることはできない。
そして甲八二号証(賃金と社会保障・第六五四頁)によれば、障害による特別の出費としてはタクシー代、電話代、補助具・補装具及び医療費の支出が多いことが、甲第八四号証(香川県障害者実態調査報告書)によれば、障害を有する者は健康上も問題を抱えており、住宅の改善を希望する者がいることがそれぞれ認められるし、原告本人尋問の結果、証人宮岸康子の証言、甲四五、四六(原告の住宅状況の写真)、六三号証(宮岸康子の陳述書)によれば、原告は障害のためバスの利用が困難であり、いきおい通院等のための外出に当たってはタクシーの利用する頻度が増えること、電動車椅子の充電や左下肢大腿部の切断面を電気アンカで暖めておく必要等から光熱費がかさむこと、住宅の内部に移動を容易にするための手すり等が設置されていることが認められる。したがって、障害は稼得能力の喪失、低下の原因となるのみならず、障害に起因する特別の出費の原因となっているものということができる。しかし、障害基礎年金の目的が稼得能力の喪失、低下を推認させる障害という保険事故に対して、一律の所得保障をすることを目的としていることは既に説示したところであり、憲法二五条の要請は他の社会福祉制度その他の諸施策との総合によって満たされることを前提として、現在の公的年金制度が構築されていることからすれば、現在の障害基礎年金に定型的な所得保障以上に個別的な需要の必要性に基づく給付を求めることは困難というべきである。確かに、医療ソーシャルワーカーである証人信耕久美子の証言によれば、福祉の現場では、生活保護基準による障害者加算又は身体障害者福祉法上の更生医療給付、補装具の交付等の諸施策が不十分であるとの意見も根強いことが認められるが、このことは、これらの諸施策の今後の運用改善を促すものであっても、障害基礎年金と公的年金との併給を調整することの合理性を否定するものではないのである。
したがって、本件併給調整規定は、各年金給付の目的、機能、要保障状態の加重等を考慮していない点で憲法二五条に反するとする原告の主張は採用することができない。
(3)無拠出制に基づく併給調整の適否
原告は、本件障害基礎年金の性格が、無拠出でかつ資力調査を伴わない社会手当としての性格を有し、憲法二五条の趣旨に照らして社会保障制度の進むべき方向であること及び本件障害基礎年金は国民皆年金を実現する上で不可欠な制度として発足した経過的福祉年金から裁定替えされたものであることに照らして、本件併給調整規定は社会手当のかかる歴史的意義を看過している点で失当である旨主張する。
確かに、金沢大学教授である証人井上英夫の証言並びに甲九四(木戸利秋新潟大学助教授の意見書)及び一一八号証によれば、社会保障制度中の講学上の概念として、無拠出制でありながら所得調査を緩和ないし不要とする給付の類型が一般に社会手当と呼ばれていること、一九世紀末から二〇世紀にかけて欧州諸国を中心にかかる社会保障制度が次第に整備されてきたことを認めることができる。そして、仮に、無拠出で、かつ所得調査がないか緩やかな定型的社会保障給付を社会手当と呼ぶとすれば、我が国では旧法上の障害福祉年金、本件障害基礎年金、原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律に基づく医療特別手当等の諸手当及び児童手当法に基づく児童手当等が右類型に該当するものといえる。
しかし、ある年金給付が右のような意味での社会手当に該当するとしても、それによって当然に公的年金との併給調整を不合理とすることはできず、その要否又は当否は、当該給付の性質、内容に基づく立法政策的判断によるべきものであって(最高裁昭和六〇年(行ツ)第九二号、平成元年三月二日第一小法廷判決・判例時報一三六三号六八頁参照。)、障害による稼得能力の低下ないし喪失に対して、保険方式によって所得保障をする障害基礎年金制度を無拠出の場合に拡張した本件障害基礎年金について、国年通老・厚年通老との併給を禁止することを不合理とすることはできないし、経過的福祉年金の不可欠性の故に本件併給調整規定の合理性が失われるものでもないのである。
(4) 財政事情に基づく併給調整の適否
既に説示したように、憲法が生存権を明定した趣旨等にかんがみれば、社会保障法上の各条項につき憲法二五条に適合するか否かを判断するに当たり、国の財政事情のみを過度に強調することは相当でないが、これが社会保障の水準を決定し、あるいは制度を構築する上で考慮すべき事由の一つに該当することはいうまでもないのであって、既にみたとおり我が国の年金制度が保険方式を完全には採用しておらず、国庫負担を補充的に取り入れていることからすれば、併給調整等の制度についても国の財政事情を考慮することを違法というべきものではない。
なお、原告は、我が国の年金制度が多額の積立金を有する点で他の先進工業諸国よりも財政面で有利であると主張するところ、甲一一八号証によれば、年金における積立主義とは自己の受給する年金の財源が過去に自己が拠出し積み立てた拠出金であるという方式、同じく賦課主義とは、ある年度に支給される年金給付費総額をその年度の現役拠出者から徴収するという方式であること、我が国の年金制度の方式は両主義の折衷であることがそれぞれ認められるから、我が国の年金制度が賦課主義を採用する国より積立度合の高いことはむしろ当然であるし、我が国が諸外国と比べても急速に高齢化社会に向かっていることは公知の事実というべきであって、急激な保険料負担の増大を避けるために積立主義的要素を取り入れることに合理性があることもみやすい道理であるから、積立金の額をもって、財政事情による制約がないことの根拠とすることはできない。
(5) 生活保護制度の存在と併給調整の適否
立法府は、公的扶助を含む所得保障や医療保障、さらには租税を初めとする負担についての種々の軽減措置等により、我が国の法制度全体を通じて憲法二五条の趣旨を実現していくことが要請されていること、よってある社会保障制度が単独で個々の国民の健康で文化的な最低限度の生活を保障しなければならないというものではないことは、既に説示したとおりである。もっとも、生活保護法の実施に当たっては、補足性を前提とする要保護性の調査・確認のために個人の尊厳、自律性を害するおそれが常に存在することは既に指摘したとおりであり、証人宮岸康子、同井上英夫及び同信耕久美子の各証言並びに甲六六(信耕久美子の陳述書)、一〇四(週間社会保障・第一八四五号)、一〇九(寺久保光良著「『福祉』が人を殺すとき」)及び一二一号証(賃金と社会保障・第一一一六号)等によれば、社会保障の研究者や元福祉事務所職員らの間からは、現在の生活保護行政下では資産調査が必要以上に厳格に行われすぎているとの指摘がつとにされていること、右調査の萎縮的効果により要保護者の申請自体が困難となるとして、これを福祉事務所による「水際作戦」と称して批判する向きもあることが認められる。そして、原告の場合にも、証人宮岸康子及び同信耕久美子の各証言並びに甲五六(石川県身体障害者団体連合会の原告宛て表彰状)、五七(石川県知事の原告宛て表彰状)、五八(石川県鶴来町身体障害者福祉協議会の原告宛て感謝状)、六三及び六六号証によれば、本件第一処分及び旧支払調整を契機にして原告世帯が平成二年七月から平成五年一二月まで断続的に生活保護を受給するに至ったこと、原告がそれまで障害者や糖尿病患者のための福祉活動の中心となって活躍し、石川県知事や同県身体障害者団体連合会等から度々表彰されてきたこと、このため生活保護の受給を余儀なくされたという事実は原告に相当の屈辱感・喪失感を与えたであろうことが認められるところである。しかし、このことは生活保護制度の運用改善の必要性を指摘するものであるとしても、生活保護制度の不要をいうものではないし、原告の主張する社会手当をもって最低限度の生活を保障することが困難であることは既に説示したところであり、障害基礎年金の性質、併給調整の趣旨、本件併給調整規定は最低でも障害基礎年金相当額の限度までは年金給付を保障するものであること、障害基礎年金の額は年額七八万円とされ(二級の場合)、右は元来は老人世帯の基礎的支出の全部及び雑費のごく一部を賄い得る金額として算定されたものであること、身体障害者福祉法、老人保健法及び老人福祉法上の種々の施策並びに租税負担軽減措置等が存在することに照らせば、本件併給調整規定の適用により生活保護基準を維持し得ない事例が発生することをもって、本件併給調整規定が憲法二五条に違反するということはできないのである。
また、原告は、国際的にも年金が高齢期の生活保障に足りるものでなければならない旨主張する。しかし、「社会保障の最低基準に関する条約」(ILO第一〇二号、昭和五一年条約四号)六九条は、併給調整について、「保護対象者に支給すべき給付は、次の期間中又は次の場合には、所定の範囲内において停止することができる。」とし、そのc項は、「その者が他の社会保障給付(家族給付を除き、かつ、現金によるものに限る。)を受けている期間及びその者が同一の事由について第三者から補償を受けている期間。ただし、停止される給付の部分は、当該他の社会保障給付又は第三者による補償の額を超えないものとする。」と規定しているから、本件併給調整規定が右条約に違反しないことは明らかである。なお、原告が引用するILO勧告(ILO一三一号)は、我が国が批准していない「障害、老齢及び遺族給付に関する条約」(ILO第一二八号)を補足する勧告であり、右条約は、拠出制給付及び無拠出制給付の別を肯定し、障害、老齢及び遺族についての定期金給付について、被保護者を被用者又は経済活動人口の階層とすべての居住者に区分し、後者に関する定期金給付の基準として、他の生計手段と給付との合計額について原告の指摘する水準の生活に適合することを求めるものであり(二八条c項)、右勧告Ⅳの二三において、「国内法令は、最低生活水準を確保するように障害、老齢及び遺族給付の最低額を定めるべきである。」とする趣旨も、各給付相互間の併給の調整を排除するものではなく、また、国民の生活に関する他の生計手段を考慮することを禁止するものとは解し難く、この勧告が各給付自体で最低生活水準を確保することを求めるものであるとしても、これは勧告的効力を有するにすぎないものと解されるのであって、本件併給調整規定の合理性が直ちに損なわれるものということはできない。
(6) 拠出制年金部分に係る支給停止の適否
原告は、本件第一処分は、実質的には厚年通老を支給停止するに等しい処分であるから、原告の保険料拠出を無に帰する併給調整であって、拠出と給付とを連動させる保険主義に反し不合理である旨主張する。しかし、拠出と給付の連動という観点からは、拠出制の厚年通老の受給権を取得したことによる無拠出制の障害基礎年金の支給停止は、拠出に連動しない給付を停止するものとして合理性が認められるべきことともなるから、保険主義を理由に本件第一処分の不合理性を基礎づけることはできない。
(7) 障害福祉年金受給者と併給調整の適否
原告は、仮に本件併給調整規定が一般的には憲法二五条に反しないとしても、障害福祉年金受給者の多くは、若いときにも十分な所得を得ることができず、年金の報酬比例部分で十分な額を得ることは難しく、貯金の余裕にも欠けるのが実情である上、再就労も困難なのであるから、本件併給調整規定は、障害福祉年金受給者と他の者を区別することなく一律に障害基礎年金額までしか併給を認めない点で、少なくとも福祉年金受給者に適用する限りにおいて不合理である旨主張する。確かに、甲六〇号証(社会保険庁運営部編集「国民年金三十年のあゆみ」)によれば、旧障害福祉年金の額は昭和四九年ころで月額五〇〇〇円、昭和六一年四月の時点でも月額二万五六〇〇円にすぎなかったことが認められるから、障害福祉年金が障害に起因する稼得能力の低下ないし喪失に対する保障としては決して十分とはいえない額であったことは推認できるし、甲八五号証(厚生省社会・援護局更生課監修「日本の身体障害者」)によれば、平成三年に行われた調査では、身体障害者(平成三年一一月一日現在、一八歳以上の者であって、身体障害者福祉法別表に掲げる障害を有する者)の不就労の理由についてみると、これを重度の障害のためとする者が34.1パーセント存在したことが認められるから、障害者の就労が健常者に比べて一般に困難であることもまた明らかであるといえる。しかし、先にみたように、改正附則二五条により障害福祉年金受給者には本件障害基礎年金が支給されていること、障害基礎年金は常に最高限度額が支給される点で老齢基礎年金より実質的に有利であり、また障害福祉年金の二倍以上の金額となっていること、身体障害者福祉法等の種々の施策も講じられていること等に照らせば、本件併給調整規定が障害福祉年金受給者に対しても一律に適用される点も、立法裁量を逸脱して不合理であるということはできない。
したがって、原告のこの点に関する主張もまた採用することができない。
(五) 以上のように、本件併給調整規定が立法裁量の逸脱に基づくものであって、憲法二五条に反するとする原告の主張はいずれも採用することができず、他に本件併給調整規定が憲法二五条に反する点もうかがわれない。
2 憲法一四条適合性について
(一) 憲法一四条一項は、「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」と規定しているところ、同条にいう「社会的身分」とは、人が社会において占める継続的な地位を指すものと解されるから、老齢年金を受給することができるという地位は、社会的身分に当たるものということができる。そして、右規定は、国民に対し絶対的な平等を保障したものではなく、差別すべき合理的な理由なくして差別することを禁止している趣旨と解すべきであるから、事柄の性質に即応して合理的と認められる差別的取扱いをすることは、右規定の否定するところではないものというべきである(最高裁昭和三七年(オ)第一四七二号、同三九年五月二七日大法廷判決・民集一八巻四号六七六頁参照。)。
(二) 原告は、本件障害基礎年金が支給停止となる場合の制限額が、政令所定の公的年金等の受給を理由とする場合(法三六条の二第三項、法施行令五条の二により、現行では六八万六〇〇〇円)と、他に所得があることを理由とする場合(法三六条の三、法施行令五条の四により、現行では扶養家族がいない場合で三一〇万三〇〇〇円)とで四倍以上の格差があることから、本件併給調整規定は障害基礎年金受給者のうち他に年金を受けている者と他に所得がある者とを不合理に差別している旨主張する。
しかし、費用の相当部分について国庫負担が行われる政令所定の公的年金の受給が本件障害基礎年金の支給停止事由となること(他の公的年金の受給権者である者とそうでない者との区別)については、本件障害基礎年金の性質上、制度上の合理性が認められることは既に説示したところであり、また、公的年金の受給による支給停止と所得による支給停止は、それぞれ別個の収入を原因とする支給停止であって、公的年金等の受給権者であるため本件障害基礎年金について公的年金分の支給が停止する者でも、所得制限を超える所得があるときは、本件障害基礎年金の支給は停止するのであり、他方、所得制限額以下の所得を有する者についても公的年金の受給による支給停止の適用があるのであって、右規定は、公的年金受給権者と他に所得のある者とを区別するものではないのである。しかも、本来基礎年金は所得の多寡にかかわらないものであるが、本件障害基礎年金の性質に照らして、法三六条の三は、一定額以上の所得を有する者について支給停止事由を規定したものであって、他に所得を有する者を公的年金取得者より優遇したものではないのである。
また、原告は、法三六条の二第五項により、増加恩給等については障害基礎年金の支給停止事由としないことが、右恩給受給権者と他の公的年金受給権者とを障害基礎年金の受給において差別するものであるとするが、これが制度上の合理的理由を有することも既に説示したところである。さらに、原告は、障害基礎年金は障害故の特別の出費を賄うものであるとか、老齢年金を受給できるようになった場合でも障害者の所得保障を図る必要性は変わらないとして、本件併給調整規定が憲法一四条に違反する旨主張するが、一で説示したような本件併給調整規定の趣旨に加え、身体障害者福祉法、老人福祉法、老人保健法及び生活保護法等に基づく諸施策の存在も考慮すれば、本件併給調整規定が障害福祉年金受給者のうち老齢年金を受給している者とそれ以外の者とを合理的理由なく差別していると認めることはできないから、原告の右主張は採用することができない。
3 以上のとおり、本件併給調整規定には憲法に違反する点はないものというべきである。
三 争点2(本件各処分の憲法適合性)について
1 憲法二五条、一三条適合性について
原告は、社会手当も公的扶助もともに憲法二五条一項の趣旨が妥当することからすれば、拠出制の社会保険(国年通老・厚年通老)と併せて無拠出の社会手当(障害基礎年金)を受給することによって公的扶助(生活保護)による名誉・人格の毀損を回避することができる場合には、憲法二五条及び同一三条によって受給者にその選択権が保障されているものと解すべきである旨主張する。
確かに、乙四号証によっても、障害福祉年金等の福祉年金は公的扶助的色彩の極めて強い制度であることが認められ、かかる障害福祉年金から裁定替えされた本件障害基礎年金も、金額が大幅に改善された点を除き、障害福祉年金と同様の趣旨を有するものということができる。
しかし、このことから当然に、憲法上生活保護と本件障害基礎年金との選択権を認めなければならないとの結論が導き出せるものではなく、実質的にみても、本件障害基礎年金の支給停止によって所得水準が生活保護基準以下となる場合にのみ右支給停止をしないこととする運用は、所得調査をせずに定型的給付を行うという本件障害基礎年金の性質にそぐわないものというべきである。
また、原告が本件併給調整規定の存在を知らずに国民年金に係る保険料を長期間にわたって納付してきたという点についてみても、併給調整についての広報が十分にされることが望ましいことはいうまでもないが、長期間の拠出とこれに対応する終身給付を柱とし、安定性が不可欠というべき年金制度の運用において、法規についての知・不知という不確実な事柄に年金給付をかからせることは適当とはいえないし、保険主義の下で拠出者相互間の公平という観点が無視できないこともまた明らかであるから、四で説示するようにこの点を信義則の判断についての一事情とすることがあり得るのは格別としても、こうした事情をもって本件各処分が憲法二五条ないし一三条に違反するとまでいうことはできない。
2 憲法三一条適合性について
行政手続における法定手続の保障は、生命、身体又は財産等に対する科刑手続に関する憲法三一条の文理から直接導き出されるところではないが、右規定の趣旨に照らし、国民に不利益を課する行政処分についても、その行政処分により制限を受ける権利利益の内容、性質、制限の程度、行政処分により達成しようとする公益の内容、程度、緊急性等に応じて適正な手続が保障されるべきことはいうまでもない(最高裁昭和六一年(行ツ)第一一号、平成四年七月一日大法廷判決・民集四六巻五号四三七頁参照。)。
ところで、原告は、本件第一処分が、支給停止事由を偶然発見した社会保険事務所職員によって提出を強要された届出に基づくものであること及び本件各処分に際し、告知・聴聞等の手続がされなかったことをもって、本件各処分が憲法一三条に違反すると主張する。そして、証人信耕久美子及び同宮岸康子の各証言によれば、平成二年三月六日における金沢南社会保険事務所における原告らに対する対応が必ずしも親切丁寧なものとはいい難かったことがうかがわれ、甲六号証(内払調整額変更申出書)によれば、原告は旧支払調整の開始に際し、各期に支払われる年金額の四分の一に相当する額を内払として差し引くよう求めていたにもかかわらず、十分な説明がないまま二分の一に相当する額の支払調整がされたことが認められるなど、総じて被告の側に原告が併給調整及び支払調整によって受ける打撃に対する配慮を欠いていたのではないかとの疑念は払拭できない。しかし、既に説示したとおり本件各処分は、支給停止事由の発生したこと及び支給停止事由の発生後の支給停止部分につき支給根拠がないことを確認する処分であって、その後の新旧支払調整とは異なり、処分をするか否か及びその内容について裁量の余地はないのであって、支給停止事由の存否を確認する端緒も届出に限定されないし(法一〇七条)、支給停止処分が届出の提出を要件とするものではないことからすれば(本件第二処分に先立つ申請は、支給停止事由に当たる複数年金の一方の解除申請である。)、本件第一処分に際しての届出に関する担当職員の対応が本件各処分の効力を左右するものではなく、また、本件各処分当時、行政庁に対し併給調整に際して告知、聴聞等の手続を履践するよう義務づける定めは置かれていなかったものであり、右に述べた本件各処分の性質に照らせば、支給停止事由が存在すること及びその効果について誤解がないよう説明することが相当であるとしても、支給停止事由の存在が明らかとなった場合に更に告知、聴聞等の手続をしなかったことが、適正手続に違反するものということはできない。
3 したがって、本件各処分には憲法に違反する点はないものというべきである。
四 本件各処分における信義則違反の有無について
1 一般に、処分が違法又は不当であれば、処分をした行政庁その他正当な権限を有する行政庁においては、自らその違法又は不当を認めて、処分の取消しによって生じる不利益と、取消しをすることなく処分に基づき既に生じた効果をそのまま維持することの不利益とを比較考量し、当該処分を放置することが公共の福祉の要請に照らし著しく不当であると認められるときに限り、これを取り消し得るものというべきである(最高裁昭和二八年(オ)第三七五号、同三一年三月二日第二小法廷判決・民集一〇巻三号一四七頁参照。)。いわゆる適法性の原則が支配すべき法治国家の下で、瑕疵ある授益的行政処分の取消しについてかかる制限が課せられるのは、授益的行政処分が相手方である私人に対して公的見解を表示したことになるため、これに対する信頼を保護し、法的安定性を図る必要があること、これらの要請もまた広い意味での法律による行政の原理に内在するものであることに基づくものと解される。また、法律の規定に基づく侵害的行政処分であっても、行政官庁において法とは異なる公的見解を表示し、国民がその責に帰すべき事由がなくその表示を信頼して行動した場合に、行政処分によって信頼に基づく利益が害され、これを放置することが正義に反するといえる事情があるときは、信義則の適用があるものと解することができる(最高裁昭和六〇年(行ツ)第一二五号、同六二年一〇月三〇日第三小法廷判決・訟務月報三四巻四号八五三頁参照。)。そうすると、本件各処分又はこれに引き続く新旧支払調整は、その法形式において受給権の根拠となる年金裁定そのものを取り消すものではなく、右受給権の法的効果を制限する侵害的処分であるが、年金裁定により付与された権利の一部を制限し、実質的には受給権の一部取消しと同視できることからすれば、法的根拠を欠く併給状態がそれ自体で、又はその他の事情によって右併給を適法とする公的見解の表示と同視することができ、かつ、当該処分の公益性と右表示に対する信頼により国民が得た利益及び処分によって生ずる右利益の侵害の程度とを比較考量して、処分の効力を認めることが公共の福祉の要請に照らしても著しく不当であると認められるときは、信義則の適用により処分は違法と評価されることになるというべきである。
2 そこで、本件各処分が右の見地から違法ということができるか否かについて検討する。
(一) 本件各処分は、支給停止事由の存在を確認し、支給停止事由の発生以後の支給根拠を喪失させるものであるところ、支給停止事由を規定する本件併給調整規定が年金方式を採用した国民年金制度における給付相互間及び本件障害基礎年金の性質から生じた調整措置であって、年金制度の長期的安定及び負担と受益の公平という目的から出たものであり、その目的には合理性があることは既に検討したとおりである。そして、この要請は、国民年金制度の対象となる者について一律に妥当することであり、公平な行政という観点からも、本件併給調整規定の例外なき適用には高度の公益性があるということができる。
(二) 他方、既に摘示した事実及び括弧内に引用する証拠によれば、原告については、① 障害福祉年金の受給開始後の約四年間を含めて一五四か月間の国民年金保険料が納付され、昭和二〇年から五五年までの間の九五か月間分の厚生年金保険料が納付されていること、② 昭和六一年四月分から平成二年三月分までの本件障害基礎年金はその全額が支給された(厚生通老との併給)こと及び同年四月分から平成三年五月分までの間、本件第一処分による減額後の本件障害基礎年金が支給され、本件第二処分により、右支払は国年通老の内払いとみなされたこと、③ 原告は、平成元年に池畑康子と知り合い、同年末から共に暮らすようになり、平成二年八月に婚姻したこと(甲四五号証)、④ ②記載の障害基礎年金として支払われた金銭は、本件各処分の時までに原告の生活費として費消され、原告世帯は平成二年七月から生活保護を受けることになり(甲六三号証及び証人宮岸康子の証言)、本件各処分を前提として、②記載の本件障害基礎年金中の過払額の返還に代えて行われた新旧支払調整は平成三年一二月に撤回されたこと、⑤ 本件各処分に従うと、原告世帯の年金収入は生活保護基準以下となり、この状態は、原告の妻が障害厚生年金と同基礎年金の受給を開始した平成六年初めまで継続し、現在でも、原告所帯の収入は原告が受給している国年通老及び厚年通老並びに原告の妻が受給している障害基礎年金及び障害厚生年金のみであること(甲四五、六三号証)といった事情を指摘することができ、また、⑥ 昭和六三年一〇月には、年金制度に関するオンライン化が完成し、これ以降の時期については、被告においても、併給状態の確認が可能であったことが認められる(甲二二号証(原告に係る再審査請求審理調書))。
(三) また、右(二)②記載の本件障害基礎年金の受領に当たり、原告が、受領資格がないことを知らなかった(善意)か否かについては、次のとおり、原告の善意を推認することができる。
まず、障害基礎年金の受給権者のうち他の公的年金給付等を受ける権利を有する者は、毎年、指定日までに、その年金証書の記号番号等を記載した届出書を被告に提出しなければならないものとされている(法一〇五条三項、法施行規則三六条一項各号列記以外の部分及び同項三号)ところ、正当な理由がなく一〇五条三項所定の届出をしない場合には年金給付の支払を一時差し止めることができるとされていること(法七三条)、甲二二号証によれば右届出をしない場合には通常支払差止が行われているものと推認できることからすれば、原告が同法一〇五条三項所定の届出自体は行っていたことがうかがわれないでもないが、甲二二号証によれば、被告においても右届出の有無及び年金証書の記号番号の記載の有無について確認できていないことが認められることなどからみて、原告からの右届出の有無等の点は証拠上はいずれとも確定することができない。また、甲一八号証の一(原告代理人による石川県厚生部国民年金課に対する「お願いの件」と題する書面)、同号証の二(右に対する回答書)及び二二号証並びに弁論の全趣旨によれば、昭和六一年四月一日における障害福祉年金から本件障害基礎年金への裁定替えに当たり、石川県では右裁定替えを行った者全員に石川県知事宛ての「公的年金受給申立書」を郵送したこと、右申立書は昭和六二年八月に六九〇九名に発送され、うち応答のない六八三名について昭和六三年二月、なお、応答のない一七七名について昭和六三年八月にほぼ同じ書式の申立書が各郵送されていること、同申立書は、「該当する方に○でかこんで下さい。」という文の下に、「1 私は障害基礎年金の他に、下記の公的年金を受給しています。」と記して、「イ国民年金」を初めとする各種年金を掲げ、その下に「2 私は障害基礎年金以外に、公的年金を受給していません。」という記載をしていること、原告からはこの三回の調査のいずれについても回答がなかったこと、そのため被告は、それ以上の確認はしないまま原告が公的年金を受給していないものと判断して本件障害基礎年金の満額併給を継続したことが認められるが、甲四七号証(原告の生活史年表)によって原告が昭和六二年一二月二日に自宅を売却して野々市町の県営住宅に転居していることが認められること、甲一八号証の二によって原告に右申立書が現実に郵送されたか否かについては石川県においても確認できないものと認められること等からして、石川県が障害福祉年金から本件障害基礎年金への裁定替えに際して一般的に右のような照会を行ったことから、直ちに原告が本件併給調整規定による併給調整について本件各処分が行われる以前から知っていたものと認めることはできない。また、乙一五号証(「障害福祉年金等から基礎年金に裁定替えされた者に係る裁定通知書及び国民年金証書等の送付について」と題する書面)によれば、石川県下の各市町村では昭和六一年四月一日において裁定替えとなった本件障害基礎年金に係る年金証書は説明用のパンフレットを添えて交付する扱いとされていたこと、右パンフレットには「障害基礎年金を選択できます」として、裁定替えに伴って老齢年金を選択している者の中には本件障害基礎年金の受給を選択した方が有利になる場合がある旨の説明が記載されていることが認められ、右記載が本件障害基礎年金と老齢年金との併給調整を前提としたものであることは明らかであるが、併給調整について知識のない者が、右記載内容だけから併給調整の存在に気付くはずであるとは解し難いし、もとより原告が右パンフレットを読んだことは証拠上確定し得ない。また、乙一九号証(国民年金証書)によれば、原告が受取った当時の国民年金証書の「注意事項」欄には、「(恩給などを受けるようになったとき)」として、厚生年金等の公的年金を受けるようになったときは、福祉年金支給停止関係届を市区町村役場へ必ず提出するように記載してあることは認められるが、右は「支給停止関係届」の提出という手続的事項の記載に止まり、併給調整について直接触れているわけではないから、右記載の存在をもって国民年金証書を保持している者全てが本件併給調整規定に基づく併給調整の存在を知っていたと認めることもできない。
一方、原告は、障害基礎年金証書を受領した際、その金額が多いために社会保険事務所と石川県の窓口とに問い合わせて、本件障害基礎年金と厚生通老との併給が可能かどうかを確認し、いずれの係員からも併給が可能である旨の回答を得ていた旨主張しているところ、乙二一号証(石川県厚生部国民年金課課長補佐市村広国の報告書)によれば、昭和六一年四月ころに原告が上記説明を聞きに訪れたと主張している金沢社会保険事務所及び石川県厚生部国民年金課で原告に対応した可能性のある職員は、いずれも社会保険各法の施行に関する事務に従事する職員であって、地方自治法附則八条及び同法施行規定第六九条二号所定の官吏たる都道府県職員(いわゆる地方事務官)であり、特に金沢社会保険事務所の職員はいずれも一〇年以上社会保険業務に従事していた者であることが認められるから、国民年金と被用者年金に関する基本的改正及びこれに伴う併給調整を含む本件改正法律の施行直後の時点において、本件障害基礎年金と厚年通老の併給が可能であると原告に説明した係官がいたとは考え難いが、旧制度からの経過規定の複雑さを考えると、本件障害基礎年金とそれ以外の障害基礎年金との相違又は相互的併給調整と一部支給停止との相違について十分な説明がされず、原告に誤解を与えた可能性を否定することはできず、原告本人尋問の結果、甲一六号証の二(平成三年三月一日付け「照会請求書の回答について」と題する書面)、同号証の三(同月六日付け「照会請求書の回答について」と題する書面)及び二二号証並びに弁論の全趣旨によれば、原告は、審査請求段階から本訴に至るまでほぼ一貫して右の主張をしていること、原告は、本件併給調整規定の存在そのものより、係官に併給可能であることを確認したのに、その後に至って併給調整をされた点に真摯な不満を有していることがうかがわれることからみて、少なくとも、平成二年三月六日に金沢南社会保険事務所で指摘されるまで本件併給調整規定による併給調整の可能性については知らなかったものと認めるのが相当でである。
なお、原告は、昭和六〇年六月に厚年通老の受給資格を取得したものであるから、右資格を有すること自体の認識はあったものということができ、これが支給停止事由に該当するか否かは法律の不知であるということができるが、本件改正法律が定める個別的な経過規定の複雑さを考慮すると、厚年通老を受領し得ることが本件障害基礎年金の支給停止事由に該当することの認識がなかったことを原告の責に帰することはできないというべきである。
(四) 右によれば、支給調整規定は年金の過払いが生ずることを当然に前提しているとはいえ、本件改正法律の施行後も本件第一処分までの約四年間にわたって厚年通老と障害基礎年金の併給がされたことにより、右併給が適法であると原告が誤信したことに原告の責に帰すべき事情はないというべきであり、右併給継続は原告にその受領に理由があることにつき信頼を与える公的見解と同視することができる。そして、原告が右既払金を生活のために費消したことは、右金員の支払が正当であるとの信頼によるものということができ、右費消により原告にその利益が残存していないことも優に推認できるのであるから、本件第一処分に従って既払分の一八〇万円余の返還を請求することは不可能を強いるに等しく、また、右金額をその後の障害基礎年金の内払いとみなすことは、自己の責に帰さない事由による過払年金の返還資金のために生活保護の受給を余儀なくさせることになるから、右過払金を原告の負担において返還させることの公益性は相当程度に減殺されたものといえるし、これを強制するときは、原告の責に帰さない事由による過払金の返還のために個人の尊厳及び自律への侵害の危険のある資産、健康等の調査を甘受すべき地位に置かれることを考えれば、原告に右過払金の返還を余儀なくさせる処分は、公共の福祉の要請に照らしても著しく不当というべきである。
しかし、本件第二処分は、国年通老の受給資格を肯定することの反面として障害基礎年金の支給を停止するものであって、本件事実経過に照らして、国年通老と障害基礎年金の併給を可能とする公的見解が表示されたと解すべき事情もないというべきである。
また、本件第二処分以降も、障害基礎年金の支給をすべしとすることは、旧法から承継された同一年金体系内での併給調整という方針に反するものであって、拠出者間の公平にも反する結果となるものであるから、本件第二処分以降の障害基礎年金の停止状態をもって信義則に反するものと解することはできない。
この点につき、原告は、併給調整規定により障害基礎年金以上の年金の受給ができないことが分かっていれば、国民年金保険料の拠出をしなかったとして、その拠出をしたことを理由に、障害基礎年金の併給を将来にわたって認めるべきである旨の主張をするが、本件障害基礎年金は保険料の拠出と対価関係に立たないことは、これを社会手当であるとする原告自身の自認するところであり、保険料の拠出と対価関係に立つ国年通老は現に原告が受給しており、納付免除事由がある場合でも、給付内容は納付済期間に係るものの方が有利であって、原告が支払を受けている国年通老と厚年通老との合算額は障害基礎年金の額を上回っているのであるから、右拠出をしたからといって、法の規定に従って本件障害基礎年金の支給を停止することが信義則に反することになると解することはできない。さらに、原告は、本件障害基礎年金の併給が続くことを信頼して、これを前提として生活設計を行った上で、宮岸康子との婚姻を決意した旨の主張をするところ、原告世帯の実情に照らせば、婚姻を決意するに当たり年金収入を中心として婚姻後の生活設計を行ったであろうことは推測に難くないが、年金制度の改革又は年金額の改定等の将来の不確定事情をも考慮すれば、本件障害基礎年金の併給への信頼がなければ婚姻しなかったとの事情は認められず、証人宮岸康子の証言によれば、婚姻に際して考慮された経済的事情は共同生活による家賃、光熱費等の節約であったものと認められ、むしろ、原告らの婚姻の原因は、互いの闘病生活中に芽生えた愛情に基づく共同生活への意思に求められるものといえるから、将来にわたる本件障害基礎年金の併給が保護されるべき信頼の対象になっていたとまでいうことはできないのである。
(五) 右によれば、本件第二処分は有効であり、そうすると、本件第一処分の現在の効力は、昭和六一年四月分から平成二年三月分までの障害基礎年金に係る過払分について原告の保持根拠を消失させることに止まるものであるところ、右に説示したとおり、右過払分について原告に返還を求め、又はこれに代えて支払調整をすることは原告の信頼を害することになる。
もっとも、本件第一処分は、支給停止事由の存在の確認と法的支給根拠の喪失を宣言するものであって、既にされた過払分についての返還又は調整は、別に履行督促(国の債権の管理等に関する法律一三条二項)あるいは支払調整によることになるから、支給根拠を喪失させること自体が信義則に反する場合には、本件各処分そのものを取り消すべき場合があるとしても、本件併給調整規定そのものが有効であり、それに制度上の合理性がある以上、既に検討した原告の信頼は右過払分の返還又はこれに代わる支払調整を違法ならしめるに止まるものであって、本件第一処分について、これを取り消すべき違法はないというべきである。
なお、付言するに、本件各処分に係る過払分についても、既に認定した事実関係に照らせば、原告はその給付を受領する時点において善意であり、給付について法律上の原因がないことについて悪意となった時点においては、既に現存利益を有していなかったものと認められるから、この認定を覆すに足りる立証がない限り、右各過払金について支払調整をすることが相当ではないことはもとより、その返還請求権も存在しないものと解される。
五 結論
以上のとおりであるから、原告の請求はいずれも失当であるので棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官富越和厚 裁判官竹野下喜彦 裁判官岡田幸人)
別紙<省略>